【連載】呑んで喰って、また呑んで㊼
胡椒蝦を食した後は日台呑み比べ
●台湾・高雄
世の中には変わった人が少なからずいる。40代後半で20歳も年下の美人と結婚した友人も、その一人だ。結婚式を無事終えた二人が新婚旅行に選んだ先は台湾である。そこまでは別に問題はない。ところが、友人は数人に新婚旅行に同行するよう声をかけたのだ。世間の常識からすると、新婚旅行というのは、文字通り新婚カップルが二人だけで旅することだろう。
みんな断ったかというと、そうではなかった。誘われた連中全員が承諾したのである。なんて非常識な人たちだ。同じ日本人として情けない。もう呆れてものが言えないではないか。私なんか眉間に皺を寄せ、日本の行く末を案じたものである。
一体何人が同行したのか。当時の記念写真を見ると、新婚夫婦を除けば、男性7人、女性3人の総勢10人である。ごめん。私もその中にいた。それはともかく、久しぶりの台湾である。なにしろ世界に誇る美食の国だ。みんな新婚旅行にかこつけて、旨いものをたらふく食べて、紹興酒や台湾ビールを浴びるほど飲もうという算段だったのである。さっ、いざ台湾へ。
台北では夢のような3日間が過ぎた。小籠包も羊肉火鍋も満喫し、紹興酒も浴びるほど呑んだ。気が付くと、もう帰国の日である。みんな連日の美食がたたって顔がギトギト。前日、参加者の一人から、
「これから高雄に行くんだけど、誰か一緒に行かない?」
台湾女性と結婚して、ブティックを経営している共通の友人が高雄にいるからだ。台湾第二の都会である高雄には、大阪に似て食通が多い。そう、「喰い倒れ」で有名である。
「はい、行きます」
と私。もう一人も手を挙げ、3人が高雄に行くことに。高雄に着くと、現地に住む友人夫婦が大歓迎、さっそく繁華街に繰り出し、海老料理専門店に入った。その店の名物料理が「胡椒蝦」。半端でない量の黒胡椒と塩、そして紹興酒で満たされた壺にオオテナガエビを入れ、黄金色になるまで海老を焼き上げたものだ。もともと高雄に近い台南発祥の料理だが、そのスパイシーな味が人気を呼び台湾全土に広まっていた。
アツアツの海老を壺から取り出すと、海老の殻から放たれる香ばしい匂いと胡椒の刺激臭がなんとも言えない。かぶりつく。うーん、日本では味わえない味覚だ。口の中に残った旨味を台湾ビールで流し込み、また海老を頬張る。この繰り返しだ。こうして胃も舌も満足させて店を出たのだが……
「家内の兄貴が歓迎会を開いてくれるって」
と高雄の友人が誘う。
「私のお兄さん、会いたがってる」
夫人も畳みかける。
もう腹が一杯なんだが、自宅で準備をしているらしく、むげに断るわけにもいかない。
そんなわけで、タクシーで向かうと、そこはだだっ広い庭のある豪邸だった。夫人の兄さんも衣料関係の会社を経営しているのだそうだ。地元の名士らしく、子分というか、従業員が手分けして庭のテーブルに料理とビール、紹興酒の瓶をせっせと運んでいる最中である。
全員が着席して、まずはビールで乾杯。そして、この夜のホストである兄さんが、何やら台湾語で私たちに挨拶した。満腹だったのに、紹興酒をすすめられているうちに、胃が再び刺激されたようで、大皿に盛りつけられた台湾料理を遠慮なくつまむ。そうこうしているうちに、お兄さんがまた台湾語でスピーチしたので、友人の夫人が通訳した。
「これから兄さんの会社の人と、どちらがお酒に強いか、呑み比べしなさいですって」
まいった、まいった。台湾まで来て呑み比べをするとは……。ま、仕方がないか。売られた喧嘩は買うしかない。
こうして呑み比べが始まった。相手は20代の若者が5人、こちらは3人、いや高雄の友人を含めると4人だ。
そして、約2時間後、すでにホストは退席している。テーブルに伏しているのが2人、地面に倒れているのが3人いた。いずれも台湾チームである。日本チームは余裕綽々で、なおも紹興酒を呑み続けていた。
それも当然だろう。私たちを新婚旅行に誘った友人の自宅では、連夜のごとく、いや真昼間から翌朝までの呑み会が週3日のペースで繰り広げられていた。新婚旅行の同行者3人もその常連だったから、鍛え方が半端じゃない。どうだ、思い知ったか!
けど、今はどうか。ちょっと深酒したら、後半の記憶が飛んでいて、ほとんど覚えていない。どうやって家にたどり着いたのか、それすらも記憶がないときている。いやあ、情けない。あのときの僕って、若かったのね。