寺院では珍しい特別公開のジョイント企画「あお若葉の競演」。石山寺編に続いて三井寺(みいでら)編をお伝えしたいと思います。
三井寺は幾度も外圧で伽藍が破壊される激動の歴史を生き抜いてきました。しかしどう守ってきたのか不思議なくらい、とてもたくさんの美仏が伝わっています。そんなせいか三井寺の美仏は、石山寺とは異なる美しさを感じさせます、
新緑に映える仁王門
三井寺は正式名称を園城寺(おんじょうじ)と言います。通称である三井寺の方があまりによく知られているため、寺も基本的に三井寺を使用しています。境内に湧く霊泉を天智天皇が産湯に使った伝説があり、古くから「御井(みい)の寺」と呼ばれていたのが、いつしか転じて「三井寺」と呼ばれるようになりました。
三井寺は平安時代に延暦寺の智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)が中興します。その後延暦寺内の対立で円珍を支持する寺門派(じもんは)が993(正暦4)年に比叡山を下り、三井寺に拠点を構えます。しかし延暦寺に残った山門派(さんもんは)との対立は収まらず、三井寺はたびたび山門派に焼討されます。
安土桃山時代になると最大の試練が訪れます。秀吉が突然、三井寺の財産没収を意味する「闕所(けっしょ)」を命じます。秀次事件直後の1595(文禄4)年で、闕所の理由はよくわかっていません。
利休切腹に始まる、秀吉晩年の少なからずの謎めいた行動の一つです。金堂は対立関係にあった延暦寺に移築させられ、西塔の中心堂宇である転法輪堂として現存しています。
秀吉は死の前日になって三井寺の再興を許します。秀吉の正室・北政所と三井寺の重鎮の道澄(どうちょう)の尽力で、唐院を手始めに金堂、仁王門と素早く再建されていきます。現在の伽藍の姿はほぼこの際の復興によるものです。
金堂は桃山時代を代表する寺院建築で国宝
道澄は近衛家の出身で、実の兄は信長のブレーンとして朝廷や本願寺との折衝に暗躍した近衞前久(さきひさ)です。道澄は連歌の名手としても知られ、毛利元就ら全国の実力者と交友ネットワークを築いていきます。
三井寺のトップ職である長吏(ちょうり)を務め、秀吉の有力なブレーンになった道澄は、秀吉の朝廷工作や顔の広さを活かした全国の有力大名との交渉に重要な役割を果たしていたと考えられます。そんな信望厚い道澄の出身母体をなぜ標的にしたのか、とても謎めいています。
秀吉の闕所には、他にも謎めいたところがあります。本尊の弥勒菩薩や黄不動、御骨大師など寺の信仰にとって最も大切な尊像はすべて道澄の隠居先に移され保管されます。三井寺の僧侶たちにも何ら咎めはなく、全員が道澄に引き取られます。根絶やしにされたのは寺領と建物だけで、三井寺の組織は実質的に道澄のもとで保たれているのです。
秀吉の信望厚かった道澄がいなければ、尊像を含め完全に根絶やしにされていたかもしれません。焼討で多くの文化財を失った延暦寺よりも、仏像を中心に質の高い文化財は三井寺に多く残されている感があります。
山門派による焼討や秀吉の闕所など、幾多の外圧に耐え抜いた三井寺には「とにかく生き延びる」という伝統が自然と身についたように思えてなりません。だからこそ美仏がたくさん現代に伝わっているのです。
「あお若葉の競演」特別公開の会場となっている金堂の内陣の中央には、本尊・弥勒菩薩が厨子内に安置されています。絶対に開扉されない秘仏の中の秘仏で、お姿を最後に見た可能性があるのは闕所の際に本尊を移動させて守った道澄です。写真もなく学術調査も行われていないことから文化財指定もされていません。
善光寺・本堂の阿弥陀如来、東大寺・二月堂の十一面観音も同様の絶対秘仏で、誰も見たことはありません。善光寺・本堂の阿弥陀如来には、実在を疑った江戸幕府が元禄時代に役人を派遣して検証させたという逸話があるほどです。
金堂内陣は最も聖なるエリアであり、普段は一切公開されていません。そのため特別公開で入る際にも僧侶からの儀式を受けなければなりません。否応なく緊張感が高まります。儀式が終わると拝観できます。
【公式サイトの画像】特別公開 大日如来坐像、文殊菩薩坐像、普賢菩薩坐像
今回特別公開される三尊はすべて初公開です。いずれも三井寺の広大な伽藍の中心的な役割を果たしています。三井寺は江戸時代まで北院・中院・南院の3エリアに分かれていました。中心的堂宇は、北院は国宝・新羅善神堂、中院は国宝・金堂、南院は重文・三尾神社本殿です。
文殊菩薩坐像は北院・新羅善神堂に祀られる新羅明神の本地仏(ほんじぶつ)です。本地仏とは、神仏習合の考え方で、神の正体である仏のことです。「新羅明神は本当は文殊菩薩なのです」という考え方です。どこか物憂げに見える表情が神秘的です。
普賢菩薩は南院・三尾明神の本地仏です。文殊菩薩とは対照的に、落ち着き払った表情が目に留まります。
中院の本尊は絶対秘仏で公開されませんが、勧学院の本尊・大日如来が公開されていることが注目されます。勧学院は国宝の客殿が桃山時代の書院造建築の代表例としてよく知られています。秀吉の闕所後に毛利輝元が再建しており、ここでも道澄のネットワークが生かされています。
大日如来は若々しいお顔立ちですが、実に腹のすわった表情をしています。宇宙に君臨する王者の風格をとても美しく表現しています。
三井寺の「あお若葉の競演」特別公開は、三井寺の波乱万丈の歴史を物語っています。三尊とも内に秘めた強い心を感じさせる切れ味があります。石山寺の三尊との美しさの違いには、とても興味深いものがあります。
次回は「あお若葉の競演」に関連して行われている「観音堂特別公開」の魅力についてお伝えしたいと思います。
こんなところがあるのです。
ここにしかない「美」があるのです。
僧兵は本当に「荒法師」だったのか?
三井寺「あお若葉(もみじ)の競演」特別公開
http://miidera1200.jp/aomomiji2018/
主催:石山寺、三井寺
会期:2018年4月28日(土)~5月20日(日)
原則休館日:なし
※この特別公開は定期的に行われるものではありません。
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