美の五色 bino_gosiki ~ 美しい空間,モノ,コトをリスペクト

展覧会,美術,お寺,行事,遺産,観光スポット 美しい理由を背景,歴史,人間模様からブログします

奈良仏教は学問だった ~仏教宗派の個性(1):美術鑑賞用語のおはなし

2018年05月21日 | 美術鑑賞用語のおはなし



お寺巡りをしていると、自然とその寺の宗派(しゅうは)が気になるようになります。宗派によって寺のつくりや文化財に一定の個性が見いだせるからです。宗教上の考え方を異にする宗派は世界中の宗教にみられますが、日本の仏教の宗派を厳密に数えると150を超えます。

そのすべてをおさらいするのではなく、比較的著名で訪問頻度の高いお寺の宗派に絞って、その特徴を探ってみたいと思います。とはいえボリュームがあるので、まずは日本に仏教が伝来した飛鳥時代から奈良時代の宗派にスポットをあてます。


1)仏教は最先端文化としてやってきた ~飛鳥時代

日本に仏教が伝わったのは、宣化(せんか)天皇治世の538年と欽明(きんめい)天皇治世の552年、2説いずれかの頃であると考えられています。

欽明天皇を継いだ推古(すいこ)天皇の治世に、まず日本最初の仏教寺院である法興寺(ほうこうじ、現・飛鳥寺は後身)が蘇我馬子によって建立されます。同じころ聖徳太子は法隆寺や四天王寺を建立し、日本仏教は皇族や有力豪族などごく限られた階層の人たちから浸透し始めます。


飛鳥寺

この頃の仏教には宗派という概念はありません。宗教上の考え方の違いを論じるほど教えについての情報があるわけではなく、理解も進んでいなかったからです。宗教というよりも、先進国の中国や朝鮮半島の最新の文化や技術を、仏教を通じて吸収する側面の方が強かったと考えられます。

百済は日本との友好関係を通じて朝鮮半島内でのプレゼンスを高めるため、日本への技術者の派遣に積極的だったと考えられています。その派遣のきっかけとして、寺の建設は相互にとても都合がよかったことでしょう。

【Wikipediaへのリンク】 仏教公伝


2)国家運営に必要な「学問」として浸透 ~奈良時代

奈良時代でもまだ、多くの人々に布教するよりも、中国から伝わった様々な宗派の教えを研究することが優先されていました。仏教の理解が国家の運営に何より必要だったのです。僧侶がとてつもない知識人となり、結果として平安遷都の要因になります。

宗旨 宗派 本山 所在地 本尊 住職名
法相宗 薬師寺 奈良市 薬師如来 管主(かんしゅ)
興福寺 奈良市 釈迦如来 貫主(かんしゅ)
【独立】 聖徳宗 法隆寺 奈良県斑鳩町 釈迦如来 管長(かんちょう)
北法相宗 清水寺 京都市東山区 千手観音 貫主(かんしゅ)
華厳宗 東大寺 奈良市 盧舎那仏 別当(べっとう)
律宗 唐招提寺 奈良市 盧舎那仏 長老(ちょうろう)


奈良時代に存在した宗派は「南都六宗」と呼ばれるように、6つありましたが3つしか現存しません。法相宗(ほっそうしゅう)は、660年頃に遣唐使として帰国した僧・道昭(どうしょう)が法興寺で教えを広めました。

中国ではその後華厳宗(けごんしゅう)が有力になり、日本には736年に遣唐使僧が持ち帰ります。現在華厳宗傘下の著名寺院(山内塔頭除く)には、奈良の帯解寺・新薬師寺・安部文珠院、防府の阿弥陀寺があります。

律宗(りっしゅう)は753年に鑑真がもたらしました。現在律宗傘下の著名寺院には、京都の壬生寺・法金剛院、生駒の竹林寺があります。従来は末寺がたくさんありましたが、現在その多くは、鎌倉時代に叡尊(えいそん)が真言宗の教えを律宗に融和させた真言律宗になっています。

【公式サイトの画像】 法隆寺 釈迦三尊

奈良時代までに建立された寺の本尊は釈迦如来が中心です。仏教の開祖である釈迦をあがめるという、最もベーシックな信仰です。東大寺の大仏で知られる盧舎那仏(びるしゃなぶつ)は宇宙の王者のような存在で、釈迦も盧舎那仏のおかげで悟りを開くことができたとされています。そのため毘盧遮那仏を本尊とする寺院も釈迦をあがめるという基本は同じです。

現在では表のように、寺ごとに宗派がわかれており、一つの寺で複数の宗派を信仰することはほとんどありません。現代人にとってはごく当たり前ですが、そうなったのはおおむね明治になってからです。奈良時代には一つの寺で六宗すべてを教えていることも珍しくありませんでした。

平安京遷都時に移転を許されなかった南都の寺は、その後も学問寺として運営されました。中でも藤原氏の庇護を受けた興福寺は大和国の荘園のほとんどを支配するようになり、鎌倉・室町幕府は大和国だけ守護(国の支配者)を置かなかったほどです。この強固な経済基盤が、南都北嶺と呼ばれた比叡山との対立や大和国の事実上の支配者としての地位を着実にしていました。

南都六宗の寺院の学問寺としての性格は現代まで続いています。檀家を持たず、葬式も行いません。そのため修学旅行の受け入れや写経といった観光収入の確立に積極的な寺院が多いことが特徴です。寺の説明には充分な経験を積んでいる僧侶も多く、居眠りする人はまったくいないほど話上手です。

またいずれの寺院も奈良時代からあるだけに、仏像や建造物は国宝だらけです。1,200年もの間、これほどの数の文化財を伝えてきた地域は、世界中でも奈良しかないでしょう。

【Wikipediaへのリンク】 法相宗
【Wikipediaへのリンク】 華厳宗
【Wikipediaへのリンク】 律宗


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 南禅寺・金地院 ~王者の風... | トップ | 日本史のスーパースター、最... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

美術鑑賞用語のおはなし」カテゴリの最新記事