キトラ古墳
キトラ古墳は、近くの高松塚古墳とともに石室に描かれた美しい壁画で人々を魅了し続けている。
最初に発見されたのは今から30年以上前の1983(昭和58)年で、約20年にわたる調査期間を経て全貌が確認された。壁画は現在、保存のため石室から剥ぎ取られて「キトラ古墳壁画体験館」で保管されており、期間限定で見ることができる。石室そのものは埋め戻されているため中に入れないが、外観を古代の築造時に近いと考えられる姿に復元しており、往時の様子をしのぶことができる。
古墳が作られたのは7世紀末~8世紀初頭の平城京遷都の直前、藤原京に都があった頃と考えられている。高松塚古墳とほぼ同じ時代だが、どちらが古いかは諸説ある。被葬者は特定されていないが、壁画や発掘品のレベルから高松塚古墳と同じく、かなり身分の高い皇族や重臣などと考えられている。
キトラ古墳の壁画の最大の魅力は、天井に描かれた「天文図」と私は思っている。地球から見た天空に現代科学でも矛盾しない北斗七星や太陽の見かけ上の通り道(黄道)が描かれており、現存する世界最古の科学的な天文図だ。この天文図は同心円で、デザイン的にも美しい。科学とは全く無縁だった1300年前に、天文学や暦の知識とそれを整然と表現する能力があったことには驚嘆する。
キトラ古墳が作られる前の30年間ほどは、遣唐使が中断していた時期でもある。日本と友好関係にあった朝鮮半島の百済が唐に滅ぼされたこともあり、関係が冷え込んでいたのだ。その間、百済滅亡後に朝鮮半島を統一した新羅も唐との関係は悪化しており、当時世界最先端の唐の文化を日本が吸収することはほぼできなかったと考えられる。
唐に学べないからこそ自分たちの手で文化を磨こうと考えたのだろう、中国風を日本風に発展させた白鳳文化が花開いた。薬師寺の薬師三尊像や、法隆寺の金堂など秀作は今に伝わっている。
「四神(ししん)」が揃って美しく描かれていることも見逃せない。四神とは、中国の神話で天の四方の守り神のことで、古くから日中韓の都づくりに活かされている。日本では平安京の場合がよく知られている。
北方を守る「玄武」は、最も鮮明に壁画が残っており、亀に蛇が絡まるように描かれている。アルファベットの「Q」の字のように見え、四神の中でも記憶に残りやすい。古代中国では、亀は長寿、蛇は生殖の象徴とされる。被葬者の魂が英会陰に続くよう思いを込めたのだろうか、黒地の亀の甲羅には六角形模様が繊細かつ整然と描かれており、高貴な身分を感じさせる。
キトラ古墳は「高松塚古墳と似た古墳らしきものが他にもある」という住民の声がきっかけになって発見された。キトラ古墳がある奈良県明日香村は高松塚古墳発見のブームに沸いた後の1980(昭和55)年に制定された通称「明日香法」により、村のほぼ全域の建築が厳しく制限されており、個人が自分の土地に自宅を建てるのも容易ではないほどだ。
生活には相当の負担をかけるが、歴史遺産という普遍的な価値の保存には大きな意味を持つ。エジプトの「王家の谷」のように、未発見・未盗掘の古墳がまだあるかもしれない。いつの日か何かをきっかけに発見され、歴史の解釈や美術工芸の歩みに新たな1ページが加えられることを願ってやまない。
日本や世界には、数多く「ここにしかない」名作がある。
「ここにしかない」名作に会いに行こう。
壁画のレプリカは両施設で常時鑑賞することができる。原本は期間を限って公開される。
キトラ古墳壁画保存管理施設
休館日 水曜、年末年始(例外が発生する可能性もあるので訪問前にご確認ください)
公式サイト http://www.nabunken.go.jp/shijin/index.html
高松塚壁画館
休館日 年末年始(例外が発生する可能性もあるので訪問前にご確認ください)
公式サイト http://www.asukabito.or.jp/hekigakan.html