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太宰府に知られざる美の殿堂がある ~観世音寺

2017年11月23日 | お寺・神社・特別公開

参道入口は季節の木々の彩りが美しい

 

 

観世音寺(かんぜおんじ)は、太宰府の政庁跡に寄り添うように佇む古刹だ。飛鳥時代に天智天皇が創建を命じ、奈良時代の聖武天皇の世になって伽藍は整えられた。九州における官寺(かんじ、国家が経営する寺)の中心的な存在だった。太宰府天満宮よりはるか昔から九州を見続けてきており、数多くの美しい仏像を今に伝える仏教美術の殿堂でもある。

 

現在の伽藍は江戸時代に再建された金堂と講堂だけで、大宰府政庁跡も含めて周辺には広大な田畑が広がっている。しかしそんな風景がかえって、奈良の平城宮跡のように古代へのロマンを漂わせる。平安時代までは壮大な七堂伽藍があったのだ。

 

「梵鐘」(ぼんしょう、釣鐘)は寺に唯一現存する創建当初の遺品で、国宝だ。京都・妙心寺や奈良・當麻寺の鐘と並んで日本最古の鐘と考えられている。

 

 

 

宝蔵は正倉院のように高床式で造られている

 

 

今に伝えられた美仏のほとんどは「宝蔵」にいらっしゃる。平安~鎌倉期に造像されたもので重文だ。創建当初の飛鳥・奈良時代のものは平安時代の火災で失われ現存しない。

 

宝蔵のセンターにいらっしゃる馬頭・十一面・不空羂索観世音の三体は、それぞれ5mほどの高さがある。圧巻の高さからは往時の寺の隆盛がうかがえるとともに、今までよくぞ天変地異や火災から生き延びてきたと感じる。不空羂索観世音は、すましたお顔が目に留まる。「汝らの願いはすべて叶えるぞ」というあふれんばかりの自信を感じさせる。

 

大黒天は日本最古のもので、七福神の大黒のように微笑んでおらず、怒っている・睨みつけている表情で造られている。これは天部の役割である仏教の守護神としての役割をそもそも表現したもので、神仏習合により生み出されたイメージである七福神の大黒とは一線を画す。笑っていない大黒はほとんど作例が現存しないためとても貴重だ。

 

宝蔵は1959(昭和34)年にできた。文化財を収容する目的で造られた寺の収蔵庫としてはかなり早い方だろうが、正直老朽化を感じさせる部分は否めない。磨けば光る普遍的な魅力は充分にあると思う。

 

 

 

講堂が顔をのぞかせる参道の並木は風情がある

 

 

 

太宰府駅から天満宮にかけての界隈はいつも観光客で賑わっている。しかし政庁跡から観世音寺にかけてのエリアは、対照的に人はとても少ない。大宰府に伝えられる美仏は、今はこうした静けさの中にたたずんでいる。

 

 

 

日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。

 

 

考古学者でもある観世音寺住職が寺の歴史をたっぷり解説

 

 

観世音寺

http://www.dazaifu.org/map/tanbo/tourismmap/4.html(大宰府観光協会サイト)

原則休館日:なし

 

 

 

 

 

 

 


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