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江戸時代の会所は意味が変わる:美術鑑賞用語のおはなし

2018年02月19日 | 美術鑑賞用語のおはなし



戦国時代に使われなくなった交際の場である「会所」は、江戸時代になって町衆による経済活動が活発になると異なる概念で復活します。対面所の登場と同じくこうした変化には、室町時代と江戸時代の社会環境の違いが大きく影響しています。


江戸時代の「会所」はビジネス・オフィス

江戸時代には、生命にかかわる政治的な抗争がほぼなくなります。あらゆる社会階層の関心は日常生活とそれを支える経済に向けられます。戦後の現代社会の秩序とほぼ同じです。誰が言い始めたかは定かではありませんが、「会所(かいしょ)」と呼ばれる場が再び現れます。室町時代とは意味が変わり、生活と経済を管理するオフィスとして認識されます。江戸時代の会所には、いくつか種類があります。

江戸・大坂・京都・名古屋・金沢といった大都市では、商人や職人が住む「町」が大きな勢力となります。「町会所」はその名の通り、町の運営を管理するオフィスでした。幕府の出先機関である奉行所からの指示の伝達や、逆に奉行所への陳情のとりまとめを担っていました。建物は現存しませんが、大坂で北組・南組・天満組と3つあった町会所が代表例です。

商取引で「会所」と呼ばれた、以下のような場もありました。

  • 同業組合である「株仲間」の管理オフィス兼集会所
  • 特定商品の取引所、大坂・堂島の「米会所」が代表例
  • 諸藩による地元産品の専売の管理オフィス
  • 土木普請など特定の事業の管理オフィス、大坂の「鴻池新田(こうのいけしんでん)会所」が代表例



鴻池新田会所

「鴻池新田会所」は、大阪市の東に位置します。大和川の付け替えで生まれた土地での新田の開発・経営の管理オフィスでした。

管理者である「鴻池家」は、幕府により潰された淀屋に代わって、大坂に君臨した全国でも最大級の豪商です。江戸初期に伊丹で醸造した清酒を江戸に売り込んで成功します。大坂に本拠を移してからは、諸藩蔵屋敷の管理委託・金融業・大名貸で巨万の富を築きました。現代の三菱UFJ銀行を構成した旧三和銀行は、鴻池家の金融業が源流です。

1707(宝永4)年に建てられた建物は今も現存しています。当時使われていた農機具や舟・竈などが遺されており、当時の様子がとてもよくわかります。中心的な建物である「本屋」は、東日本に多い地方の豪農の館のような趣を感じさせます。重厚な造りの中に繊細な意匠が施された箪笥は見応えがあります。

両者ともその地域の経済をリードした組織です。江戸時代の富裕層の文化への興味がうかがえる遺構です。おすすめします。

室町時代の会所は、文芸を中心とした私的な交際の場ですが、上流階級が生活を維持するための大切な情報交換の場としての位置づけも見逃せません。江戸時代の会所は、もっとストレートにビジネスの場です。人と「会う」という言葉には、「生き続ける」という意味が隠されていると感じました。


【Wikipediaへのリンク】 会所 (近世)


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