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戸/障子/窓、建具の進化は和風文化の進化:美術鑑賞用語のおはなし

2018年03月29日 | 美術鑑賞用語のおはなし



日本の歴史的建造物を鑑賞していると、日本建築特有の装飾や調度品のパーツを示す専門用語を耳にするようになります。室内のパーツは大きくまとめて建具(たてぐ)と呼ばれます。聞いたことはあるが意味はよく分からない用語が多くあると思います。和風文化の進展が垣間見えてとても興味深いです。

建具とは、戸・扉・障子・襖・窓の総称です。建物や部屋の内外を通じる開口部に設けられたパーツのことです。仏教寺院や住宅の建築様式の変化に応じ、建具も変化していきます。


1)戸(と)

現代では手前や奥に開くものを「扉」、左右に引くものを「戸」と呼びます。日本の歴史的建造物では、室内外を出入する小さな建具はほぼ「戸」と呼ばれます。「扉」は門のように比較的大きな出入口を指す場合に用いられますが、区別はあいまいです。


仏教寺院の戸


日本の伝統的な板唐戸 <富貴寺 大堂・大分>

仏教は中国から伝わったものであり、飛鳥時代以来、寺の建具は中国式の開き戸が主に使われてきました。「板唐戸(いたからど)」と呼びます。分厚い一枚板を使い、表面の装飾は少なくシンプルです。頑丈ですが、とても重いため開閉が大変でした。


中国から来た桟唐戸 <永保寺 開山堂・岐阜>

平安時代末期になり、遣唐使の廃止で途絶えていた中国との交流が日宋貿易復活すると、中国の仏教寺院の建築様式がもたらされます。大仏様と禅宗様です。開き戸にも、当時の中国の仏教寺院で使われていた「桟唐戸(さんからど)」がもたらされます。木の枠組みの中に薄い板をはめ込んで作るため、軽量で開閉がしやすく、デザインの自由さが増します。以降は禅宗に限らず寺の開き戸は桟唐戸が主流になっていきます。

【Wikipediaへのリンク】 桟唐戸


住宅の戸


上に開けられた蔀戸 <大覚寺 宸殿>

住宅の建具でも平安時代に変化が見られます。貴族が住んでいた寝殿造の屋敷は、建物に壁はありません。左右に開く「妻戸(つまど)」と上に開く「蔀戸(しとみど)」で部屋を囲み、日中は開けっ放しでした。しかし重量があるため開閉が大変でした。

【Wikipediaへのリンク】 蔀


舞良戸 <相国寺 方丈>

そのため平安時代半ば以降に、敷居と鴨居に彫ったレールを薄い板の引き戸が滑って開閉する構造が発明されます。「遣戸(やりと)」もしくは「舞良戸(まいらと)」と呼ばれ、平安時代から室内外を仕切る戸として普及が始まります。引き戸の外枠の木の間に薄い板を張るシンプルな構造で、意匠を付けることも容易でした。


杉戸絵 <修学院離宮>

室町時代になって畳敷きの書院造が普及し、室内で客人をもてなすようになると室内の障壁画が描かれるようになります。書院造で主に廊下と室外を仕切っていた板戸にも絵が描かれるようになり、杉戸絵と呼ばれて多くの歴史的建造物に遺されています。

【Wikipediaへのリンク】 板戸


2)障子(しょうじ)、襖(ふすま)

現代の障子や襖も平安時代の寝殿造りに起源があると考えられています。寝殿造は建物の中が壁で区切られていないため、人が集う空間を持ち運び可能な建具で仕切って利用していました。また室外との区切りを蔀戸や舞良戸で締め切ってしまうと、明かりが入ってきません。こうした使い勝手ソリューションから障子や襖が生まれてきました。


障子・襖ができる前

まず寝殿造りで持ち運び可能な仕切りには以下のようなものがありました。テレビドラマで見たことがあるものも多いでしょう。

◆御簾(みす)
姿を見せてはならなかった女性や高貴な人を、外から見えないようにします。上に開いた蔀戸の内側に吊るしたカーテン。現代の簾(すだれ)とほぼ同じ構造。

◆几帳(きちょう)
T字型の物干し台のような木組みに布をかけたカーテンで、現代の暖簾のように間を押し開けることができます。座っている人物が見えない程度の高さ。

◆壁代(かべしろ)
御簾の内側を覆うように巨大な布を取り付けたカーテンで、現代の暖簾のように間を押し開けることができます。主に冬に用いました。

【Wikipediaへのリンク】 御簾、几帳、壁代

◆屏風(びょうぶ)
複数枚のパネルを自立させた室内空間の仕切り、調度品として現代も使われています。

◆衝立(ついたて)
パネル1枚を自立させた室内空間の仕切り。

【Wikipediaへのリンク】 屏風、衝立


障子・襖の誕生

現代で言う障子は、平安時代には建具全般を指していました。衝立を板ではなく紙張りにして軽量化し、引き戸にしていったと考えられます。風よけ・保温に便利で、当初は蔀戸や舞良戸と組み合わせて使われていました。これが現代の襖の原型である「襖(ふすま)障子」と考えられています。

その後明り取りのために、現在のような薄い紙を張っただけの「明(あかり)障子」が登場します。鎌倉時代には庇に隠れず、雨露があたりがちだった明障子の下部を板張りにした「腰高(こしだか)障子」も現れます。

【Wikipediaへのリンク】 明障子、腰高障子

安土桃山時代になって書院造が一般化すると、現代のようなスタイルが定着していきます。室外との仕切りは明り取りのために障子で、室内の仕切りは襖です。襖は壁と共に障壁画で、障子は窓と共に格子のデザインで、それぞれ室内空間の趣を楽しみようになります。

【Wikipediaへのリンク】 障子

【Wikipediaへのリンク】 襖


3)窓

窓は、日本では古来仏教寺院で用いられてきました。中世までの寝殿造住宅は壁がないため、窓も存在しませんでした。住宅に窓が使われるようになるのは、室町時代以降の書院造からです。



連子窓 <法隆寺 西院伽藍 回廊>

「連子(れんじ)窓」は、奈良の古代寺院にも見られる伝統的な窓です。木の棒を立ててすき間を開けて並べており、採光や通風に優れます。光が室内に差し込む様子はどこか幻想的でもあります。全くすき間がないものもあります。

【Wikipediaへのリンク】 連子窓



火灯窓 <相国寺 法堂>

「火灯(かとう)窓」は、釣鐘方の形状が印象的です。元は禅宗様として中国から伝来したものです。安土桃山時代以降、禅宗以外の仏教寺院や神社・城・住宅とあらゆる建築に広まったため、よく目にします。花頭窓と表記する場合もあります。

【Wikipediaへのリンク】 火灯窓・花頭窓



格子窓 <京都文化博物館>

「格子(こうし)窓」は、連子窓よりずっと細い木が縦横組み合わさって格子模様を作っています。町家建築にも多く見られます。


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