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書院造は和室の原点:美術鑑賞用語のおはなし

2018年02月14日 | 美術鑑賞用語のおはなし



京都の寺で庭を鑑賞する、この時縁側に座っている建物の建築様式はほぼ「書院造(しょいんづくり)」です。現代では洋室の床は「フローリング」、和室の床は「畳」が基本ですが、部屋に畳を敷き詰めるというのが書院造の最大の特徴でもあります。室町時代に成立し、現代まで続く和風住宅の基本スタイル「書院造」の仕組みについてお話ししたいと思います。


書院造とは

書院造の原点は鎌倉にあると考えられています。畳を敷いた部屋を意味する「座敷」が、来客を迎える部屋として鎌倉幕府の要人の住宅で造られるようになります。座敷は室町時代になると、客人に唐物を見せる、歌会をする、能楽を鑑賞する、といった「会所(かいしょ)」と呼ばれた“おもてなし”の場として発展していきます。並行して主人のプライベートな書斎として、比較的小さな部屋が設けられるようにもなります。

【公式サイトの画像】 慈照寺・東求堂

慈照寺で銀閣より早く1486(文明18)年に建立された「東求堂(とうぐどう)」の一室である「同仁斎(どうじんさい)」は、足利義政が書斎や茶室として使っていたものです。書院造の源流と言える設えが見られます。


床の間 <角屋もてなしの文化美術館・京都>

畳敷きと並んで書院造の特徴を最も表す「床の間(とこのま)」は、室町時代に鑑賞用の絵画や工芸品を展示する空間として成立しました。武家や公家は、室町時代に最高級の珍品であった「唐物」を床の間に飾り、自らの社会的地位を確認するとともに、限られた客人にだけ披露しました。

床の間のある特別な空間に大切な客人を招き、大切な話をする。とっておきのコレクションは、本当に大切な人にしか見せない。こうした感覚は現代にも通じるものがあります。書院造はこのように、現代の日本人が抱く「和風」建築の根幹をなします。

京都で現存する武家や公家・寺院の歴史的建造物の多くは応仁の乱の後、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての再建です。そのため書院造がほとんどを占めており、床の間は支配者層を客人として迎えることのある有力な商家や名主の住宅にも設けられました。

建築様式においては中世と近世を分かつと言える「寝殿造」「書院造」の違いを整理します。書院造がいかに現代の和風建築のイメージに近いかおわかりいただけると思います。

 

寝殿造(~室町時代)

書院造(室町時代~)

柱の形状

円柱

面取り角柱

板張り、部分的に畳

畳を敷き詰める

座り方

男女ともあぐら、立膝

男性は公式な場で正座
女性は常に正座

部屋の大きさ

比較的大きい

比較的小さい

建物内の部屋数

1つだけ

用途に応じ複数

屋内外と仕切り

壁なし(開放可能な扉や戸で仕切る)

壁・戸で仕切る

扉や戸の形状

開き扉(妻戸、蔀)、引き戸(舞良戸)

引き戸(障子、襖、板戸)

屏風の役割

大きい部屋の中の間仕切り

部屋空間の装飾


書院造の普及は室内外の様子を変えていきます。客人や部下との面会は庭ではなく室内で行われるようになります。庭は僧の修行や客人を楽しませる場として、とても豊かな表現が行われるようになりました。部屋を仕切る襖に絵を描く、ハレの日を屏風絵で飾るといった室内装飾も、書院造によって大きく発展しました。

客人と会う間、主人のプライベートな書斎は住宅の中で最も重要視されたため、書院造の意匠には主人のセンスが現れます。例えば門跡寺院の書斎は王朝文化の雰囲気が強く現れますが、城の書院は権力を示すべく質実剛健です。

【公式サイトの画像】 西本願寺 白書院・黒書院


黒書院、白書院、表書院

「黒(くろ)書院」「白(しろ)書院」という言い方もよく耳にされるでしょう。城や大寺院に設けられ、二条城や西本願寺のものがよく知られています。地肌の色が黒に近い木を用いるのが「黒書院」、白に近い木を用いるのが「白書院」ですが、歴史的建造物では時間がたっているため、木の色で見分けることはほぼ困難です。「黒書院」は数寄屋風に作られる場合が多く見られます。

“表向き”“内向き”という表現で、どのような人と会うか、どのように使用するかを漠然と区別する場合もあります。しかし黒・白書院を設ける建物によって位置づけが異なるため、一概に定義することはできません。同様に「表書院」という表現も、一概に定義することはできません。

安土桃山時代から江戸初期にかけて書院造は、茶室や公家の邸宅の数寄屋造りなど様々な方向に深化していきます。床の間の飾りつけや庭を眺めて楽しむという基本スタイルは、昭和の高度成長期に集合住宅や戸建て住宅で取り入れられ広く普及しました。

しかし一般の住宅では来客が常にあることは少なく、床の間も庭も常にメンテナンスすると負担になります。そのため現代の住宅では和室に床の間が設けられることは少なくなり、庭も松の木を植えるのではなく、ガーデニングの場に変化しています。現役の住宅における伝統的な書院造による楽しみ方は、もはやよほどのお屋敷でしか見られなくなっています。

【Wikipediaへのリンク】 書院造

【Wikipediaへのリンク】 座敷


【Wikipediaへのリンク】 会所


【Wikipediaへのリンク】 床の間


【Wikipediaへのリンク】 畳


【Wikipediaへのリンク】 黒書院


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