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旧:甲子園ホテル_100年前の夢の国、絶妙のモダニズム建築

2019年01月11日 | 城・屋敷・歴史遺産

兵庫県西宮市にある旧:甲子園ホテルを訪れました。現在明治村に移築されている、帝国ホテルの旧:ライト館と並び称される、戦前を代表するモダン建築です。現在は武庫川女子大学のキャンパス・甲子園会館として使用されています。

  • フランク・ロイド・ライトの愛弟子である遠藤新(えんどうあらた)の設計で、1930(昭和5)年に竣工
  • 戦前は日本屈指の高級リゾート・ホテルで、国内外の要人や名士が集うサロンだった
  • 和洋折衷のデザインは、20c初頭に花開いた日本のモダニズム文化を象徴


甲子園は、主に阪神電鉄が開発した高級住宅街であり、リゾート地でもありました。甲子園球場も甲子園ホテルと同じ頃、1924(大正13)年に竣工しています。阪神間モダニズムと呼ばれ、日本でも屈指の高級住宅地として急成長していたエリアの遺構がそのままのこされているのです。



甲子園ホテルは当初、現在の甲子園球場の近くに建設が予定されていました。甲子園球場の南側には遊園地・動物園・テニスコート・ゴルフ場に加え、現在の阪神競馬場の前身の鳴尾競馬場がありました。日本屈指の一大レジャー集積地だったのです。

ホテル支配人になる林愛作(はやしあいさく)と設計者の遠藤新が球場付近に難色を示し、球場より2kmほど北、武庫川沿いの風光明媚な高台の現在地に建設されることになりました。

林愛作は帝国ホテルの経営を軌道に乗せたホテルマンのプロで、欧米に日本美術を売りさばいた美術商・山中商会のニューヨークの店で活躍した美術のプロでもありました。林が帝国ホテル新館(ライト館)の設計をライトに依頼したのは、ライトが山中商会の顧客だったという縁があります。しかし新館の竣工直前に帝国ホテル創業時の本館が焼失し、林は責任を取って支配人を辞任します。

林は帝国ホテルで果たせなかった新館のお披露目を、甲子園ホテルに重ね合わせたと思われます。大衆が集まる球場付近からの建設地変更を主張したのも、ホテルの高級感を保ちたかったような気がしてなりません。


明治村:旧帝国ホテル・ライト館(中央玄関)

遠藤新は、予算オーバーと工期遅れで建設中に辞任したライトを引き継ぎ、帝国ホテルの新館を完成させます。遠藤の作品として重要文化財に指定されている2棟の内、芦屋市にある灘の酒造会社・櫻正宗の社長・山邑家の別邸(現:ヨドコウ迎賓館)はライトからの引き継ぎ、池袋にある自由学園の明日館はライトとの共同設計です。

帝国ホテルのライト館と旧:甲子園ホテルは趣が似ています。遠藤は生涯を通じてライトに心酔していたと考えられています。趣が似るのは自然の成り行きでしょう。

【公式サイト】 建物の室内外の画像が掲載されています

建物は立体が複雑に組み合わされ、空間を舞っているような美しさがあります。ライト設計の特徴である、随所で空に大きく突き出た庇(ひさし)は、この印象をさらに強くしています。一方違いがほとんど気付かれないほどシンメトリー(左右対称)に配置された建物が、外観に落ち着いた印象を与えます。モダニズムの斬新さを、突飛感を与えずに表現しているデザインは本当に見事です。

この設計思想は室内空間においても同様です。旧甲子園ホテルは高台の傾斜地に造らており、北の正面玄関と南の庭園では高低差が3mあります。いわゆる中2階やロフトのような、基本階層から少しずれた空間を多用しており、初めて訪れる人は夢の国へ誘われるような印象を与えます。

逆説的に言うと、現代では常識のバリアフリーの概念には全く反することになります。高低差のある部屋をつなぐ階段がとてもたくさん作られているからです。



打出の小槌や水玉の意匠が随所に施されており、空間に上質な印象を与えています。打出の小槌は旧・甲子園ホテルのシンボルで、縁起や経営の安定を願ったのでしょうか。水玉は林にとって痛恨となった火災を防ぐ思いが込められたのでしょうか。関係者の様々な思いを感じます。

庇や壁には欄間のように穴があけられ、特定の時期だけ光が当たるよう緻密に設計されています。1Fにある防火水槽と茶室の蹲(つくばい、手水鉢)の役割を担った泉水(せんすい)には、冬至の日の午前中だけ、中央にデザインされた打出の小槌に太陽光が差し込むよう仕掛けられています。泉水に落ちる水音は、水琴窟のように神秘的に聞こえるようにも設計されています。

武庫川女子大学では近年、冬至の日の午前中に見学ツアーを設定しています。泉水のある部屋に線香をたいて、差し込む光が幻想的に写真撮影できるよう、粋な計らいもしています。天候に左右されますが、この日のツアーは大人気のようです。

旧:甲子園ホテルは、戦前の華やかな時代を上流階級が楽しめるよう、まさに贅の限りを尽くした空間です。しかしホテルとして営業していたのはたった14年間でした。1944(昭和19)年に海軍に接収された後は、進駐軍に使用されます。その後は1965(昭和40)年に武庫川女子大学の所有になり、現在に至ります。1995年の阪神淡路大震災でも建物は無事でした。

短命だったホテルとしての空間からは、はかなさのようなものも感じます。そんな”ここにしかない”空間は、近年はロケ地としても注目されています。映画「ALWAYS・続三丁目の夕日」「日本のいちばん長い日」に続き、現在放送中のNHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」でも、ヒロインの独身時代の勤務先や結婚式の会場として使用されました。

【NHK「まんぷく」公式Instagram】 福ちゃん、萬平さん、ご結婚おめでとうございます

100年前の夢の国です。よくぞのこっていてくれた、と言いたいものです。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



戦前に阪神間は輝かしいライフスタイルを提案していた

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武庫川女子大学
甲子園会館(旧:甲子園ホテル)
【武庫川女子大学公式サイト】

※大学のキャンパスとして建物は現在も使用されています。
※月4~5回程度、日時を設定された見学日のみ、事前に申し込んだ上で見学できます。

【武庫川女子大学公式サイト】 甲子園会館の見学について



◆おすすめ交通機関◆

JR神戸線「甲子園口」駅下車、南口から徒歩10分
※阪神電車「甲子園」駅からは徒歩30分かかります。
JR大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:30分
大阪駅→JR神戸線・普通→甲子園口駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には駐車場はありません。


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