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ハウス・オブ・ヤマナカ|名著レビュー|山中商会は日本美術の救世主だった

2018年12月31日 | 名作レビュー

新潮社の朽木ゆり子著「ハウス・オブ・ヤマナカ」を読みました。

明治から戦前にかけて欧米で日本と中国の美術品を売りまくった美術商・山中商会の物語です。現在のアメリカの美術館に収蔵されている超一級の日本美術の多くは山中商会が仲介したものです。

  • アメリカの大富豪の間では超有名人だった山中定次郎が、日本ではなぜ無名なのか?
  • アメリカの美術館にどのようにして超一級の日本美術が収まったのか?
  • 著者の史料収集への情熱には脱帽、「私の履歴書」を読んでいるかの如く描写はリアル


「東洋の至宝を欧米に売った美術商」という刺激的なサブタイトルが付けられていますが、山中商会は日本美術の国外流出のA級戦犯ではなく、逆に救世主だったことがよくわかります。日本美術の価値そのものをあらためて認識できます。


旧:山中商会京都支店(現:パビリオンコート)

山中商会は、明治初めに大阪で三本の指に入る骨董商を営んでいた山中家が起こした会社です。後に社長となる山中定次郎(やまなかさだじろう)が1889(明治22)年に山中家に婿入りしてから、事業が大きく発展していきます。

定次郎は1894(明治27)年に渡米し、ニューヨークに支店を構えます。1897(明治30)年にはボストンにも店を構え、アメリカの大富豪の間で定次郎の名を知らない人物はいないほどになります。

定次郎に商才はあったのはもちろん、時代の波が山中商会の事業を後押ししました。

  • 外貨獲得の手段に乏しかった明治政府は、寺や大名家から大量に売立てに出された古美術品の輸出を奨励していた
  • お雇い外国人のフェノロサやビゲローが帰国し、アメリカに日本美術の魅力を広めていた
  • 大阪の骨董商で重要な顧客だったフェノロサやビゲローは、アメリカでの店の開設を後押ししてくれた
  • フランスでも日本ブームが起こっており、富裕層の関心は日本文化に向きやすかった


しかし明治末期になると明治政府の方針転換で、古美術品の輸出が難しくなります。くしくもフェノロサらによって自国の美術の価値を認識します。殖産興業が軌道に乗り、古美術品に頼らずとも外貨獲得の手段が多様になったのです。

しかし山中商会には幸運の女神が微笑み続けます。同じ頃中国では清朝末期の混乱で中国美術が大量に売りに出されていました、定次郎はこれに目を付け中国美術を大富豪に売りまくるようになります。こうして山中商会は日本国外に巨額の資産を築きます。しかし戦争が、山中商会の運命を大きく変えます。敵国資産として没収され、中国での買い付けもできなくなったのです

こうして山中商会はアメリカでは忘れられるようになります。日本での商売も小規模だったため、国内でも無名になっていったのです。


美術商は、美術品固有の価値を広く普及させる

著者の朽木ゆり子は、美術品の売買という本来の目的に加え、そのビジネスに付帯する美術商の意義をとてもわかりやすく定義しています。「浮世絵や琳派などは、(中略)フランス人やアメリカ人が夢中にならなければ、その価値が理解されるスピードはもっとゆっくりしたものになっていただろう」と指摘することで、美術商の意義を裏付けしています。

フランス人に浮世絵を夢中にさせたのは、パリを拠点とした美術商のサミュエル・ビングと林忠正(はやしただまさ)です。サミュエル・ビングの店でゴッホが初めて浮世絵を目にしたとされる話はよく知られています。

林はパリ万博への日本の出展の責任者を務めたり、日本に印象派の作品を紹介するなど、本業以外の貢献がよく知られています。一方の山中定次郎は美術商に徹していたこともあり、日欧の文化交流の功労者として取り上げられることが多い林と比べ、日本では圧倒的に知名度が低くなっています。

しかし著者は、山中定次郎の果たした役割は、林忠正と何ら変わりはないと考えているようです。日本美術の価値をアメリカ人によってあらためて発見してもらうことに絶大な貢献をしたからです。この考えには私も同感します。山中や林が欧米のコレクターに売りなくっていなければ、日本美術の傑作が現存しなかった可能性が高いからです。

美術という概念すらなかった明治の日本では、必要がなくなればインテリアを捨てるのと同様に、美術品も簡単に捨てられていたでしょう。保存環境にも無頓着で、先進国だった欧米に渡ることで大切に保存されたことも、現存に大きくつながっています。

山中商会は、実は現在も存続しており、大阪で古美術商を営んでいます。京都の青蓮院の門前にあった京都支店は別会社となりますが、こちらも存続しています。往時の美術品陳列場だった洋館を活かし、貸ホール・パビリオンコートを営んでいます。とても趣のある洋館で、山中商会の全盛時をしのぶことができる唯一の遺構です。

【公式サイト】 株式会社山中商会
【公式サイト】 パビリオンコートの歴史

山中商会は間違いなく、日本美術の価値を高めた会社でした。その全貌がわかる、実に内容のある一冊です。





ハウス・オブ・ヤマナカ
―東洋の至宝を欧米に売った美術商
著者:朽木ゆり子
判型:単行本
出版:新潮社
初版:2011年3月25日


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