8月24日16:30天神~鹿児島南港
再び、刻を忘れさせてくれる島、トカラ列島へ。
8月25日朝、口之島、諏訪之瀬島を経て中之島を見る。
この島は帰りに寄って、5月に8合目で断念した御岳山
(979m)登山をする島です。
悪石島へ到着 10:50
タラップを降りる仲間です。
悪石島は5月にも来た島です。今回は
神が居てボゼ祭りがあるのです。旧盆の
7月16日にあたる今日、8月25日が
盆踊りとともにボゼ神がやって来る。
そのために、ボゼ祭りツアーまである。
民宿に泊まれない人は、停泊中のとしま丸にて。
われらは民宿西荘に宿泊出来た。
http://www.aruzou.com/tokara/boze.htm
昼間に御岳に登った。5月とは又違った花が咲いていた。
山頂からの海の眺めです。
島にはいろんな神仏がある。島特有のかざりっけのない
昔からやってます。ってものが珍しかった。坂森神社。
午後3時すぎから踊りも本番になった。
踊りに参加出来るのは、男性だけ。小学生未満は女子もいいそうです。
村のリーダーが太鼓を叩くとボゼ神が現れます。
赤土をつけたボゼマラ棒をもっていきなり出現です。
子供たちはなきながら逃げ回ります。
このボゼ神のマラ棒で赤土をつけてもらうと、
幸がくる。又子宝に恵まれるとか。
思った以上の迫力で迫って来ます。
皆さん、結構服に赤土がついていました。
子供たちの逃げ回る姿が印象的でした。
それを又追いかける。幸が来ることでしょう。
祭りが終わると、コミュニテイーセンターでお食事です。
お料理の先生たちが島の食材でご馳走を作ってくれました。
食後の冷たいスイカが特別おいしかったです。
8月26日
朝の食事です。さねん葉で包んだおにぎりです。
「島むすめ」に出てくる歌詞、♭さねんばなよ~♯
の葉っぱです。
今回いろいろと企画して下さった、コミセンです。
海の向こうに宝島と子宝島が見えます。
今回の訪問は最南端の宝島へも行きます。
島風というか、本当に涼しい風が吹いていました。
対馬丸の慰霊の碑に手を合わせました。
戦時中、沖縄から疎開する途中、米軍に撃沈され
1500人の子供たちが命を落とし、この島にたくさんの
遺体が流れてきたのを弔って、この碑が作られたそうです。
ボゼ神のまつりの悪石島にさようならです。
子宝島から悪石島へ「村営フェリーとしま」が近づいて来ました。
釣りをしている人もいます。釣れたイシダイの小魚が
えさになっていました。良い天気で海がきれいです。青い。
おなじみの「村営フェリーとしま丸」です。湾内でUターンです。やすら浜港。
私達は中之島へ着きました。5月に来た時宿泊した「海遊倶楽部」
のママちゃんにも会いました。
中之島では、島バナナが即売されていました。
今は、まだ青いが1週間後が甘くなって食べごろだ
そうです。1房700円位でした。
5月にも来た島、中之島です。廻りの散策も慣れたものです。
ひかるちゃんがいろいろと小鳥の巣箱などガイドしてくれました。
ゆっくり時間があったので、海に入り熱帯魚と遊びました。
真っ青なかわいい熱帯魚。イシダイの赤ちゃん。など。
中之島の小学校の前のハイビスカスです。真っ赤です。
夏休みで、子供たちには会えませんでしたが、先生たち
が、5月の時の訪問をおぼえて下さっていたので、話がはずみました。
8月26日
これから大変なことが、待ち受けていました。
大喜旅館が今回の宿です。夕食も刺身などご馳走でした。テレビの
天気予報をみていたら、大変。熱帯低気圧がそばに居る。
波が4m~5m位と言っている。これからますます、波が高くなるので、
明日の「フェリとしま」は欠航になると思う。そうしたら、われらは動
けない。困ったと宿の主人が、今なら屋久島から漁船をチャーター出来
るからそれで、帰りなさい。と。えっつ。1400トンの船が欠航する
のに10トン位の漁船で。いやだね。明日、早く港まで送るから用意せよ。
との事。リーダーも島の人がいうのは間違いない。そうしよう。と言う事
になった。夜、雨風がガラス戸を叩くし、雷はなるし、こんなにひどい
天気の時に海に出る。怖いと思ったがなぜか、言われるままに行動している。
暗い明け方、港まで送ってもらった。皆さん、酔い止めの薬は飲んで
おくようにと強く言われる。初めて飲んだトラベルミン1錠。
波の中にエンジンの音が聞こえた。ライトも照らしていた。なんとも
不気味な感じ。風が強くてなかなか着岸出来ない。片付けをやっていた
そうだが。湾内なのにかなりの揺れ。これから外海へ出たらどうなるの?
10人とトランクなどの荷物を積み込んだ。私たちは船倉に誘導された。
9人位がやっと入れるスペース。一度、腰を下ろすと動けない程の狭さ。
それに、魚の臭い、救命ジャケットを着けたらますます暑くて、、、。
湾の外へ出たら、揺れがいっそうひどくなった。ただ、じっと我慢する
よりなかった。トイレも危なくて次の島影に入るまで我慢せよ。との事。
屋久島からのチャーター船だったが、こちらへ向かう途中、何度も引き
返そうと思ったと。後で船長さんに聞いた。口之島から屋久島の間が波
がひどくて、これからどうするか話合われていた。おばさん達は大丈夫か?
と。前に口之島を訪れたとき、ふじこママが、ここでNTTの人が4人
遭難したよ。と聞いていた事が頭をよぎった。その時はエンジンが止ま
ったそうで転覆したそうだ。木の葉のごとく小さな船が東シナ海を大波
と戦いながら進む事になった。ロープにブイを5個結びつけている。
この事は何を意味するのか?このロープは沈まないから、投げ出されたら
これに捕まれと。泳げない私がロープまで、高波かぶってどうやってたど
れるのよ。しかし、うんうんと言いながら、船倉でじっと我慢していた。
その時、大波にぶつかった。ドーンと天井で頭を打ち付ける程ジャンプした。
大きなクーラーボックスに腰掛けていた男性も箱ごと飛び上がっていた。
大丈夫かな?ますます、恐怖におののいて来た。しかし、どうする事も
出来ない。船長さんに命預けたからには。なるようになる!と。
薬のせいか、眠たくてウトウトしたが、私は全く酔わなかった。他の7人
は大きなビニール袋が手放せない状態。冷や汗も合わさって、衣服も
ぐっしょり。ゲロゲロパッパだ。気の毒そうだった。船にお手伝いで乗り
込んだ青年もこんなの初めてと酔っていた。部屋の中はムンムンと蒸し暑
くて、たまらんかった。朝9時ごろ無事、屋久島に到着した。ほっとして
振り返ればそこに停泊している、小さな漁船と船長さんに感謝でした。
流木にあたったらどうしようもなかった。と後で怖い話を聞いた。途中、
飴玉はないかと船長さん。10時間の緊張の連続でさぞや、お疲れでしょう。
しかし、出港した事を反省すべきかな?と強く思う。(16万円)高い?安い?
密航船みたいね、といいながら。こわごわと乗り込む。
通された船室は魚臭くて、蒸し暑くて、救命具を早速着ける。
このときまでは皆さん、まだ笑顔があります。
慣れてるはずのこの海の青年も酔っていました。
屋久島をめざすと最悪の南東の波風で危険だったので、
口永良部の島のへりへ寄って三角に進んだそうです。
無事、屋久島へ着きました。なによりホットした。
船長さんの腕の確かさに感謝です。
3人以外はゲロゲロぱっぱでした。私は大丈夫でした。
この漁船14トンが強風のなか5m~6m位の波と戦いながら
私たちを乗せて、東シナ海を4時間、木の葉のごとく揺れながら、
無事到着したものだと改めて、怖さと、後にも、先にも経験でき
ない事をしたものだと無事に着いたので大笑いに変わった。
急遽、屋久島散策の始まりです。
大川の滝。(おおこのたき)
屋久島に精通した大田五男大先輩の民宿。羽神の郷。
白谷雲水峡
8月27日~28日
八方園の庭と虹。ここに2泊しました。
涼しくて、気温30度になることはめったにないそうです。
夜、月による虹を初めて見ました。おかみさんも初めて見た。と。
これは、あめあがりの虹です。
8月29日
屋久島から鹿児島まで高速船「ロケット」にて。
あまり揺れなかったので、もの足りないといいながら
笑って、福岡行きの高速バス「桜島号」に乗り込んだ。
予定変更のハプニングありの旅も終わった。
再び、刻を忘れさせてくれる島、トカラ列島へ。
8月25日朝、口之島、諏訪之瀬島を経て中之島を見る。
この島は帰りに寄って、5月に8合目で断念した御岳山
(979m)登山をする島です。
悪石島へ到着 10:50
タラップを降りる仲間です。
悪石島は5月にも来た島です。今回は
神が居てボゼ祭りがあるのです。旧盆の
7月16日にあたる今日、8月25日が
盆踊りとともにボゼ神がやって来る。
そのために、ボゼ祭りツアーまである。
民宿に泊まれない人は、停泊中のとしま丸にて。
われらは民宿西荘に宿泊出来た。
http://www.aruzou.com/tokara/boze.htm
昼間に御岳に登った。5月とは又違った花が咲いていた。
山頂からの海の眺めです。
島にはいろんな神仏がある。島特有のかざりっけのない
昔からやってます。ってものが珍しかった。坂森神社。
午後3時すぎから踊りも本番になった。
踊りに参加出来るのは、男性だけ。小学生未満は女子もいいそうです。
村のリーダーが太鼓を叩くとボゼ神が現れます。
赤土をつけたボゼマラ棒をもっていきなり出現です。
子供たちはなきながら逃げ回ります。
このボゼ神のマラ棒で赤土をつけてもらうと、
幸がくる。又子宝に恵まれるとか。
思った以上の迫力で迫って来ます。
皆さん、結構服に赤土がついていました。
子供たちの逃げ回る姿が印象的でした。
それを又追いかける。幸が来ることでしょう。
祭りが終わると、コミュニテイーセンターでお食事です。
お料理の先生たちが島の食材でご馳走を作ってくれました。
食後の冷たいスイカが特別おいしかったです。
8月26日
朝の食事です。さねん葉で包んだおにぎりです。
「島むすめ」に出てくる歌詞、♭さねんばなよ~♯
の葉っぱです。
今回いろいろと企画して下さった、コミセンです。
海の向こうに宝島と子宝島が見えます。
今回の訪問は最南端の宝島へも行きます。
島風というか、本当に涼しい風が吹いていました。
対馬丸の慰霊の碑に手を合わせました。
戦時中、沖縄から疎開する途中、米軍に撃沈され
1500人の子供たちが命を落とし、この島にたくさんの
遺体が流れてきたのを弔って、この碑が作られたそうです。
ボゼ神のまつりの悪石島にさようならです。
子宝島から悪石島へ「村営フェリーとしま」が近づいて来ました。
釣りをしている人もいます。釣れたイシダイの小魚が
えさになっていました。良い天気で海がきれいです。青い。
おなじみの「村営フェリーとしま丸」です。湾内でUターンです。やすら浜港。
私達は中之島へ着きました。5月に来た時宿泊した「海遊倶楽部」
のママちゃんにも会いました。
中之島では、島バナナが即売されていました。
今は、まだ青いが1週間後が甘くなって食べごろだ
そうです。1房700円位でした。
5月にも来た島、中之島です。廻りの散策も慣れたものです。
ひかるちゃんがいろいろと小鳥の巣箱などガイドしてくれました。
ゆっくり時間があったので、海に入り熱帯魚と遊びました。
真っ青なかわいい熱帯魚。イシダイの赤ちゃん。など。
中之島の小学校の前のハイビスカスです。真っ赤です。
夏休みで、子供たちには会えませんでしたが、先生たち
が、5月の時の訪問をおぼえて下さっていたので、話がはずみました。
8月26日
これから大変なことが、待ち受けていました。
大喜旅館が今回の宿です。夕食も刺身などご馳走でした。テレビの
天気予報をみていたら、大変。熱帯低気圧がそばに居る。
波が4m~5m位と言っている。これからますます、波が高くなるので、
明日の「フェリとしま」は欠航になると思う。そうしたら、われらは動
けない。困ったと宿の主人が、今なら屋久島から漁船をチャーター出来
るからそれで、帰りなさい。と。えっつ。1400トンの船が欠航する
のに10トン位の漁船で。いやだね。明日、早く港まで送るから用意せよ。
との事。リーダーも島の人がいうのは間違いない。そうしよう。と言う事
になった。夜、雨風がガラス戸を叩くし、雷はなるし、こんなにひどい
天気の時に海に出る。怖いと思ったがなぜか、言われるままに行動している。
暗い明け方、港まで送ってもらった。皆さん、酔い止めの薬は飲んで
おくようにと強く言われる。初めて飲んだトラベルミン1錠。
波の中にエンジンの音が聞こえた。ライトも照らしていた。なんとも
不気味な感じ。風が強くてなかなか着岸出来ない。片付けをやっていた
そうだが。湾内なのにかなりの揺れ。これから外海へ出たらどうなるの?
10人とトランクなどの荷物を積み込んだ。私たちは船倉に誘導された。
9人位がやっと入れるスペース。一度、腰を下ろすと動けない程の狭さ。
それに、魚の臭い、救命ジャケットを着けたらますます暑くて、、、。
湾の外へ出たら、揺れがいっそうひどくなった。ただ、じっと我慢する
よりなかった。トイレも危なくて次の島影に入るまで我慢せよ。との事。
屋久島からのチャーター船だったが、こちらへ向かう途中、何度も引き
返そうと思ったと。後で船長さんに聞いた。口之島から屋久島の間が波
がひどくて、これからどうするか話合われていた。おばさん達は大丈夫か?
と。前に口之島を訪れたとき、ふじこママが、ここでNTTの人が4人
遭難したよ。と聞いていた事が頭をよぎった。その時はエンジンが止ま
ったそうで転覆したそうだ。木の葉のごとく小さな船が東シナ海を大波
と戦いながら進む事になった。ロープにブイを5個結びつけている。
この事は何を意味するのか?このロープは沈まないから、投げ出されたら
これに捕まれと。泳げない私がロープまで、高波かぶってどうやってたど
れるのよ。しかし、うんうんと言いながら、船倉でじっと我慢していた。
その時、大波にぶつかった。ドーンと天井で頭を打ち付ける程ジャンプした。
大きなクーラーボックスに腰掛けていた男性も箱ごと飛び上がっていた。
大丈夫かな?ますます、恐怖におののいて来た。しかし、どうする事も
出来ない。船長さんに命預けたからには。なるようになる!と。
薬のせいか、眠たくてウトウトしたが、私は全く酔わなかった。他の7人
は大きなビニール袋が手放せない状態。冷や汗も合わさって、衣服も
ぐっしょり。ゲロゲロパッパだ。気の毒そうだった。船にお手伝いで乗り
込んだ青年もこんなの初めてと酔っていた。部屋の中はムンムンと蒸し暑
くて、たまらんかった。朝9時ごろ無事、屋久島に到着した。ほっとして
振り返ればそこに停泊している、小さな漁船と船長さんに感謝でした。
流木にあたったらどうしようもなかった。と後で怖い話を聞いた。途中、
飴玉はないかと船長さん。10時間の緊張の連続でさぞや、お疲れでしょう。
しかし、出港した事を反省すべきかな?と強く思う。(16万円)高い?安い?
密航船みたいね、といいながら。こわごわと乗り込む。
通された船室は魚臭くて、蒸し暑くて、救命具を早速着ける。
このときまでは皆さん、まだ笑顔があります。
慣れてるはずのこの海の青年も酔っていました。
屋久島をめざすと最悪の南東の波風で危険だったので、
口永良部の島のへりへ寄って三角に進んだそうです。
無事、屋久島へ着きました。なによりホットした。
船長さんの腕の確かさに感謝です。
3人以外はゲロゲロぱっぱでした。私は大丈夫でした。
この漁船14トンが強風のなか5m~6m位の波と戦いながら
私たちを乗せて、東シナ海を4時間、木の葉のごとく揺れながら、
無事到着したものだと改めて、怖さと、後にも、先にも経験でき
ない事をしたものだと無事に着いたので大笑いに変わった。
急遽、屋久島散策の始まりです。
大川の滝。(おおこのたき)
屋久島に精通した大田五男大先輩の民宿。羽神の郷。
白谷雲水峡
8月27日~28日
八方園の庭と虹。ここに2泊しました。
涼しくて、気温30度になることはめったにないそうです。
夜、月による虹を初めて見ました。おかみさんも初めて見た。と。
これは、あめあがりの虹です。
8月29日
屋久島から鹿児島まで高速船「ロケット」にて。
あまり揺れなかったので、もの足りないといいながら
笑って、福岡行きの高速バス「桜島号」に乗り込んだ。
予定変更のハプニングありの旅も終わった。