『周恩来秘録(上・下)』高文謙著 上村幸治訳 文藝春秋
著者は中国共産党中央文献資料室に勤務していた周恩来の専門家です。著者の母はアヘン戦争で有名な林則徐の五代孫にあたり、文化大革命のとき、文革派権力者を批判したために、秦城監獄に7年間入ることになりました。その経験から著者に対して歴史の真実を知らせるように著者を励ましたそうです。そして、この本の出版を見ることなく亡くなったので、著者はこの本を母に捧げると冒頭に書いています。
この本は主に周恩来の晩年10年間に焦点をあてて書かれています。その期間は文化大革命の時期と一致します。
上巻では、まず最初に周恩来と毛沢東の出会いから描かれています。共産党入党は毛沢東のほうが早かったのですが、周恩来が1930年代には共産党軍の創設者として、また蒋介石の下で黄埔軍官学校政治部主任として国民・共産両党の将軍たちを育てたことで、党内での地位は周恩来のほうが上でした。そして1932年の寧都会議で毛沢東を失脚させました。その後約2年間にわたって毛沢東は党内で冷遇され、これが毛周二人の対立の始まりとなったようです。その後長征と呼ばれる大移動中に毛沢東が復権し、周恩来が病気で身動きできなくなったときに、周を軍のトップの座から引きずり下ろし、自分がトップに立ったそうです。周は毛の下で補佐する役目を受け入れたということです。
それから30年あまりのちに、文化大革命になって再び二人の対立が表面化したようです。上巻では劉少奇の失脚や林彪の台頭までが描かれ、下巻では1971年に起こった林彪事件から、1976年の周恩来死後の第一次天安門事件までが描かれています。
この本を読んでわかったことは、毛沢東と周恩来は意外と仲が良くなかったことです。特に晩年の十年間、毛沢東が標的にしていたのは実は周恩来だったのかなと感じたことです。「私的な行き来はほとんどなく」、「あくまでも仕事上の付きあいのみだった」ようです。
毛沢東が周恩来に手を焼いた様子を著者はこう表現しています。「毛沢東はその生涯において天下取りの戦に敵なしと自負してきた。蔣介石であろうが、党内の王明、彭徳懐、劉少奇、林彪にせよ、いずれも負かしてきた。スターリンですら取るに足らなかった。革命前夜の中央ソビエト区(根拠地)からずっと傍にいた周恩来を、毛沢東は何度も追い落とそうと考えた。だが、その都度、周は太極拳のような柔らかな動きで巧みに切り抜けた。これは一代の梟雄たる毛沢東にとって、どうにも納得のしがたいことだった。」
『華国風味』青木正児著 岩波文庫
『長安から北京へ』司馬遼太郎著 中公文庫
この本は、著者が1975年5月に、日本作家代表団の一員として、訪中した時の体験をもとに書かれたものです。
この著者の本は何冊か読みましたが、この本が、今までで一番感銘を受けたように思います。
たとえば、中国語のあいさつで你好(こんにちは)という言葉が使われますが、この言葉は中華人民共和国になってから使われだしたものそうで、それまでは、吃飯了嗎(めしを食ったか)というあいさつが一般的だったこと、あるいは革命的という言葉が、中国では大いに張り切ったというほどの意味であることなど、初めて知ることがたくさんありました。
特に一番感銘を受けたのは、春秋時代の名宰相管仲の言葉で、山の樹木と製鉄が一つのものだということを言って、そのために人工の山を作れと言っていることです。そうすると山に草が生え、10年たてば水が出てきて、それに従うように鉱物資源も生まれてくるということです。
今から二千年以上前に、こういうことがわかっていたとは、そして現代に至るまで、そういう教えを活かし切れていないことに、物事の難しさを感じました。
また、代表団は、北京図書館で四庫全書の原本を見ましたが、その本は前から北京にあったものではなく、河北省熱河にあったものを北京に移したということで、著者は詳しい経緯を聞くのを忘れたと残念がっていました。
四庫全書は完成した時に、北京に正本2部、副本1部が置かれて、瀋陽・熱河・揚州・鎮江・杭州に各1部正本が置かれました。熱河には清朝皇帝の避暑山荘があり、そこに正本が置かれていました。熱河は清朝末期から日中戦争時にかけて戦乱に巻き込まれることの多かったところですが、奇跡的に略奪にも遭わずに完全な形で残っていたそうです。
この文を読んで私がふと思い出したことがありました。それは何かというと、熱河には首に腫物ができる風土病があり、それに日本軍が悩まされたという話です。1932年3月に日本の陸軍参謀本部が作成した『熱河省兵要地誌』にもこの病気のことが記載され、原因不明で、この病気にかかったからと言って、特に健康を損ねるわけでもなかったそうで、よその土地に移ると治る人もいたそうです。地元民はこの病気にかかったことで太くなった首を自慢していたということです。
したがって熱河の風土病が、貴重な文化財を守ったのかなと感じました。
私も中国の歴史が好きで、そういう本をよく読んでいたつもりでしたが、この本を読んでみて、自分はまだまだ勉強不足だなと痛感しました。