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気まぐれ本読み日記

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ロシア文学裏ばなし 虫眼鏡で見た作家の周辺

2024-12-01 13:19:39 | ロシア史
『ロシア文学裏ばなし 虫眼鏡で見た作家の周辺』工藤誠一郎著 中央公論社

この本によると、ロシアを代表する文学者の一人であるアレクサンドル・プーシキンの決闘について、時のロシア皇帝ニコライ1世が深くかかわっていたそうです。プーシキンが侍従補という宮廷の官職に就いていたこともあるのでしょうが、ロシア皇帝が貴族の私生活のトラブルにまでかかわっていたとは初めて知りました。ニコライ1世はプーシキンに対して、決闘はしないこと、事態が変わるようなことがあれば必ず自分に知らせることを約束させていたそうです。そうしていたにもかかわらず、プーシキンはニコライ1世との約束を破って決闘を行い、命を失うことになったようです。プーシキンは死の直前「わたしをお許しくださるように、陛下に頼んでください」という言葉を残したそうです。ニコライ1世は国内においてはデカプリストの乱を鎮圧し、国外においてはクリミア戦争を始めた人物ですが、こういう一面もあったと初めて知りました。

『戦争と平和』『イワンのばか』で知られる文豪レフ・トルストイがロシアのキリスト教の一派であるドゥホボール教徒のカナダ移住を援助していたことをこの本で初めて知りました。ドゥホボール教徒はトルストイの教えに従って兵役拒否をしたため、ロシア当局から迫害を受けていたそうです。ウィキペディアによると、ドゥホボール教徒はカナダのマニトバ・サスカチュワン両州に移住し、のちに一部がブリティッシュコロンビア州に移住したそうです。

19世紀のモスクワにはヒートロフカという有名な無法地帯があったそうです。ヒートロフ将軍の所有地であったことから、この名称がついたそうです。
この本によると、ヒートロフカで生まれた男はここに住み着き、ここで亡くなったそうです。途中で監獄とかシベリア流刑で姿を消すことがあっても必ずここに舞い戻ってきたそうです。またここでは10歳の飲んだくれの娼婦がいて、それは珍しいことではなかったそうです。

『どん底』で知られる文豪ゴーリキイは、『どん底』のドイツ公演原作料の集金・保管をドイツの出版会社社長バルヴスという人物に委任したそうです。バルヴスはロシア生まれのロシア系ユダヤ人で、レーニンともつながりがあり、ドイツ陸軍の参謀本部からの革命資金を陰で操った人物だったそうです。世界最初の社会主義国家ソビエト連邦の成立にドイツ軍の貢献があったことがよくわかりました。
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ロシア精神の源 よみがえる「聖なるロシア」

2023-07-19 17:47:07 | ロシア史

『ロシア精神の源 よみがえる「聖なるロシア」』高橋保行著 中公新書

この本は、ロシアの精神文化の源が、どこから来てどう発展していったかを解説しています。

ロシアの精神文化の元になるのは、ビザンチン帝国からもたらされたギリシア正教でした。西暦9世紀のキエフ大公国のウラジミル大公のときでした。

ビザンチン帝国は、ロシアにギリシア正教を普及させるために、あらゆる便宜をはかりました。たとえばロシアが現在も利用しているキリル文字は、ビザンチン帝国のギリシア正教の伝道師キリルが発明したものでした。

ビザンチン帝国千年の歴史の中で、自分たちの精神文化について、大きな2つの区分を行ってきました。それは「外なる智恵」と「内なる智恵」の2つでした。外なる智恵とは、ギリシアの古典に代表される知識をもとにした知性であり、内なる智恵とは、ギリシア正教会の神学や思想でした。そしてビザンチンの文化において「内なる智恵」は「外なる智恵」に優先するという鉄則を持っていたそうです。「知性は高級な技術であり、人間の精神性や文明を高める道具になるものの、精神性に代わるものにはなりえない」そして「研ぎすまされた知性の底知れない力は、人にとって精神性を高める道具とならない限り、まかり間違えば刃物のように、全力をもって人を破壊するものになりうるということである。」と著者は語っています。

ロシアはビザンチン文化のうち「内なる智恵」は導入しましたが、「外なる智恵」を導入しませんでした。その結果、ビザンチン帝国が滅び、ビザンチン文化が消え去っていく中で、西欧社会と出会い、その文化に圧倒されて、西欧に追い付け追い越せというピョートル大帝の近代化につながっていったようです。もしロシアが対等な立場でヨーロッパと接していたら、ピョートル大帝の近代化もロシア革命もなかっただろうと著者は言います。

この本を読んで、クリミア半島がロシアにとって単なる政治的・経済的な重要拠点であるばかりでなく、ロシアの聖地であることを初めて知りました。ウラジミル大公がはじめてギリシア正教に改宗したのが、クリミア半島のケルソンという町でした。現在ウクライナにあるヘルソンという町の名は、ケルソンのウクライナ語読みらしいですが、10世紀にあったケルソンの場所にはありません。当時そこはビザンチン帝国の領土で、現在のセヴァストポリになるそうです。セヴァストポリといえば19世紀のクリミア戦争の激戦地として有名ですが、ロシアが戦争までしてクリミア半島にこだわる理由がわかるような気がしました。

またロシアの名の由来は、ビザンチン帝国の人々が赤ら顔の人々という意味で「ロス」と呼んでいたことによるそうです。

そして西欧社会がギリシアの古典を知るようになったのが、ビザンチン帝国からではなくアラブ社会からの輸入によってであることを初めて知りました。そのため以後の西欧社会は知性が精神性に優先して、高度な知的文明社会を作り出していった一方で、精神性のほうが乏しくなっていったということだそうです。

さらにはイスラム寺院の丸屋根は、彼ら独自で作り出したものではなくビザンチン様式をそのまま取り入れたものだというのも、この本で初めて知りました。イスラム教がアラビア半島から北に進出して一番最初に占領した地域がビザンチン帝国の領土で、その地域にはコンスタンチノープルのソフィア寺院を模した形の正教の寺院がたくさんあったので、イスラム教はそれをそのまま受け継いだようです。

この本は深い内容の本なので自分の理解もまだまだ不十分なのですが、大変勉強になりました。







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20世紀最大の謀略 赤軍大粛清

2023-07-01 17:56:00 | ロシア史
『20世紀最大の謀略 赤軍大粛清』ルドルフ·シュトレビンガー著 守屋純訳 学研M文庫
この本はスターリンによる赤軍、つまり自分が統治するソビエト社会主義共和国連邦の国軍である赤軍の幹部を多数処刑した史実を描いたものです。
この本を読んで感じたことは、ロシアとドイツは非常に深いつながりがあるのだなということです。
第一次世界大戦後、ドイツは軍備縮小を余儀なくされましたが、ドイツ国防軍は密かに軍隊の規模を以前の状態に復活させようと考えていました。そこへロシア革命後の各国の軍隊の侵入をうけて赤軍再建を目指すレーニンからの協力依頼をうけてドイツとロシアは軍事協力をすることになったそうです。
その内容はロシア国内で作った兵器をドイツの民間商社を通じてドイツに輸入し、そのかわりにドイツ国防軍が赤軍の軍人を教育するというものだったそうです。ヒトラーが出てくる前からドイツは再軍備を進めていたことになります。
従って独ソ戦が始まったときにスターリンが知らせを聞いて絶望したという話がありましたが、こういう裏事情があったのであれば納得のいく話だと思いました。
そして、スターリンが赤軍大粛清を行うようナチスドイツが謀略を仕掛けたそうです。それはチェコスロヴァキア大統領エドワルド·ベネシュを利用して仕掛けたようです。ベネシュが秘密を保持できない性格の人だったことは外交筋では有名だったそうです。
もともとピョートル大帝以来ロシアはドイツに憧れていて、首都もわざわざドイツ語読みのサンクトペテルブルクという名前にしたほどです。
ロシアとドイツの関係はなにか奥が深いのだろうなと、この本を読んで感じました。
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イヴァン雷帝

2023-05-11 16:10:37 | ロシア史

イヴァン雷帝 アンリ・トロワイヤ著 工藤庸子訳 中央公論社

この著者は、『大帝ピョートル』『エカチェリーナ2世』『アレクサンドル1世』などロシア皇帝の伝記をよく手掛けています。

イヴァン雷帝ことイヴァン4世は、帝政ロシアの基礎を気付いた人物で、また後継者の息子を殴り殺したことでもよく知られています。

この本で一番印象深かったことは、ドモストローイ(家庭訓)という本が紹介されていることです。

ドモストローイは、イヴァン雷帝の初期の補佐役であったロシア正教の司祭シルヴェストルが書いた本です。

当時はもとより、その後も長い間にわたって、日常生活の手引きになったとされるこの本には、料理の作り方や家計管理のやり方、対人関係のマナーや、旅行をするときの注意点など、多岐にわたる内容が網羅されていたようです。

日本語訳の本が出ていないかネットで探しましたが、残念ながら見つかりませんでした。

ロシアの歴史や文化は、アジアともヨーロッパともちがう複雑怪奇な感じがして、それはそれで魅力的ではありますが、イヴァン雷帝の生涯については、何か後味の悪い印象を受けました。

 

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