『エチオピアの歴史 ”シェバの女王”から”赤い帝国”崩壊まで』岡倉登志著 明石書店
この本によると、エチオピアという言葉はギリシア語で「日に焼けた人々」「ハム族の息子」という意味があるそうです。またエチオピアの古い呼び名としてアビシニアがありますが、これはアラビア語で「混血」を意味するハバシュという言葉が語源になっているそうです。
日本では一般的にシバの女王と呼ばれますが、エチオピアやヨーロッパではシェバの女王と呼ばれることが多いそうです。イスラエルのソロモン王とシェバの女王のあいだに生まれた息子が、エチオピアの初代皇帝メネリク1世です。エチオピアの歴代皇帝はこのメネリク1世の子孫とされ、最後の皇帝ハイレセラシエ1世はメネリク1世から数えること237代目に当たるそうです。シェバの女王はソロモン王と出会ったことでユダヤ教に改宗し、エチオピア皇室はダビデの星を紋章に用い、エチオピア皇帝はユダヤの獅子と呼ばれるようになったそうです。
1980年代に『レイダース 失われたアーク』という映画がありましたが、その舞台になったのが、古代エチオピアだと初めて知りました。
19世紀の東アフリカでは、オーストリアのマリア・テレジア銀貨が現在のアメリカドルのように流通していたそうです。重さ28gの良質の銀貨だそうです。マリア・テレジアは18世紀の有名な女帝で、マリーアントワネットの母としてもよく知られています。
アジスアベバは現在エチオピアの首都ですが、エチオピアの中心地となったのは19世紀の終わりで、本格的な都市建設は20世紀になってからだったそうです。
エチオピアでは長年にわたってアムハラ人・ティグレ人の支配が続いてきたということです。彼らはエチオピアの人口の3分の1を占め、オロモ人をはじめとする残りの民族を支配していたそうです。それは1974年に帝政が崩壊し、メンギスツ政権になってからも続いていたそうです。1964年の東京オリンピックで、マラソンの金メダリストとなったアベベはオロモ人でしたが、皇帝と同じアムハラ人にされてしまったそうです。
この本によると、エチオピアはロシアとも古くから友好関係があったそうで、国名の由来といい、ロシアとのかかわりといい、東ローマ帝国の影響を早い時代から受けていたのだなと感じました。