『蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』紀田順一郎著 松籟社
この本は、著者自身の蔵書の処分の経緯と、個人の蔵書が公共の図書館に受け入れてもらえないことについて論じています。
私自身、蔵書の整理が、このブログを始める理由でした。数にして千冊にも満たない本しか持っていませんので増車と呼ぶのもおこがましいほどですが、どう整理して、どう処分しようか頭を悩ませているくらいですから、数千、数万という蔵書を持つ人が悩むのは当然だと思います。
著者は書籍関係の評論家であり、3万冊に及ぶ本を持っていたそうです。蔵書家のすごい人になると、桁が一桁ちがう人もいるのですが、すごい分量であることは間違いないと思います。ところが老年期に入り、著者が病気で倒れ、家族も膨大な本の管理ができないとなると、いくら本好きでも、本の処分を考えるようになります。2015年、著者80歳のときに、手許に600冊を残して残りをすべて古本屋に売ったそうです。
『灰色の月・万暦赤絵』志賀直哉著 新潮文庫
この本は表題作のほか、21の短編を収録した随筆集です。私は特に志賀直哉に興味があったわけではなく、それまでも志賀直哉の作品を読んだことがありませんでした。この本も、本屋でたまたま万暦赤絵という題名につられて買ってみたという本です。
全編通していえることは、作者の飄々とした人柄が文章に現れているなということです。そして作者の私生活を垣間見ることができます。
兎という短編では、作者とその娘のこんなやり取りが出てきます。
「兎、飼っていい?」「大きくなったら食うよ、それを承知なら飼ってもいい」「それでもいい。・・・・飼って了えお父様きっとお殺せになれない。だから、それでもいい」
この文章から、昭和のはじめには、食用で兎を飼っていたことがわかります。また、作者は以前兎を放し飼いしていた時に、近所の畑を兎が荒らすので、農家から苦情が出て飼っていた兎を他所にやってしまったそうです。
また、朝顔という短編では、作者が朝顔を植えていたことを書いていますが、朝顔を植えた理由というのが「花を見るためというよりは葉が毒虫に刺されたときの薬になるので、絶やさないようにしている。蚊や蟆子(ぶよ)は素より蜈蚣(むかで)でも蜂でも非常によく利く。葉を三四枚、両の掌で暫く揉んでいると、ねっとりした汁が出て来る。それを葉と一緒に刺された個所に擦りつけると、痛みでも痒みでも直ぐ止り、あと、そこから何時までも汁が出たりするような事がない。」ということです。朝顔の葉にそんな効能があるとは、この本を読むまで全く知らなかったので、勉強になりました。
盲亀浮木という短編では、盲亀浮木という言葉自体初めて知りました。仏教の経典に出てくるめったにないことの例えだそうです。またその中で、ポルトガル人で徳島に住み、孤独のうちに亡くなったモラエスという文人の話が出ていますが、モラエスの事も初めて知りました。
志賀直哉が白樺派を代表する文豪であることは前から知ってはいましたが、この本を読んでいると、その考え方やものの見方は奥が深いなと思いました。日常の何気ないことを書いていても、そこに作者の思想や教養がにじみ出てくるというのは、作者の生きざまを見る思いがします。すばらしい本だと思いました。