230クラブ <ニイサンマルクラブ&多摩三浦丘陵歩きの会>

1990年創立「地元を再発見」する本の数々をご紹介。「鶴見川流域」と「多摩三浦丘陵歩きの会」を中心とした活動も実施中!

2011年3月鶴見工業高校廃校となる・・・

2010年09月06日 | 日記
1936(昭和11年)4月開校の横浜市立鶴見工業学校は京浜工業地帯の工場の技術者育成の目的で設けられた。

鉄道省鶴見駅から四駅目にあった「工業学校前」駅が「鶴見小野」に変更され、市内各地から学生が通学した。

機械、化学、電気、土木、建築科があり、時代により人気の科が変わったりしたが、横浜市では県立神奈川工業と鶴見工業で商工実習と商業では横浜市立商業学校(Y高)が有名だった。

開校した頃の教師には津上忠、梶山季之らプロレタリア作家がいた。
戦後1948年新制の鶴見工業高校となり、工業科と地域の普通科が設けられたが、1954年までで1955年からは普通科は県立鶴見高校だけになった。

鶴見工業高校の運動部は強く、甲子園に出場もしたほどだった。
私は1955年に県立鶴見高校に進んだが、勉強のできた連中はY高か鶴工に進み普通科へは10名ほどが進んだ。友人たちの何割かが就職してから大卒との差に悩み大学へ進んだのも多い。
しかし4年遅れで慶応や中央をでても四浪扱いのため就職には苦労していた。

今年は鶴見線開業80周年でもあり鶴見工業の75年のサヨナラ展を願っている。

鶴見川畔に「横浜市立サイエンスフロンティア高校」が二年前に開校し、理工系志望者を集めて、横浜市立大学推薦枠もあり、近くに市大の理学大学院もあり連携している超難関高校となった。