鳴中ブログ

~鳴門中学校の日常をお伝えします~

平和学習(秋田町空襲の話を横山さんから聞きました)

2014年09月04日 11時27分27秒 | 日記
2年生では9月3日(水)5・6時間目に総合学習の時間に徳島より横山さんを招き,戦争体験の話をしていただきました。

 横山先生からは,ご自身が体験された『秋田町空襲』を中心にお話をしていただきました。
 自分の子供のころは今と違って物資が不足して大変だった,というお話から始まりました。野球部員としてがんばっていたのですが,必要な道具もなかなか手に入らず,シューズも配給制で抽選に当たった者だけが支給を受けることができたそうです。
 そして、『秋田町空襲』の体験を語ってくださいました。「弟と自分,前には女の子とおばさんがいた時に爆弾が落ち,気を失った。気がつくと自分は血だらけになっていて,近くに住んでいたおじさんが救護所に連れて行ってくれて看護を受けた。そこに,担架に担がれた弟が運ばれてきた。その姿を見ながら,弟を助けてくれ,と頼み無事を祈り続けた。前にいた女の子とおばさんは亡くなっていた。」というお話でした。今振り返ると,自分と弟はその時に命を落としていたかもしれない,という横山先生のお話を聞き,戦争とは本当に悲惨であると感じ,今の平和を維持することの大切さを考えることができました。
 さらに,戦争は私たちにとって遠い話ではなく身近なものであることを考えるために,すぐ近くの島田島沖で起こった『住吉丸』事件,学童疎開船が撃沈され今の生徒たちと同年代の多くの学童の犠牲を出した『対馬丸』事件について話をしてくださいました。『住吉丸』事件とは,終戦間近の8月2日に予科練生か乗った『住吉丸』が鳴門海峡で攻撃を受け,それを知った島田島の漁師たちが我が身の危険をかえりみずに海に投げ出された人々を助け出した,という事件です。『住吉丸』に乗っていた予科練生の平均年齢は16歳くらい,島田島の漁師たちは,攻撃を受けている最中にもかかわらず船を出し,17名を救出したそうです。この時,82名の若者が亡くなりました。また『対馬丸』事件は,1944年8月に沖縄から九州へ向かう学童疎開船が潜水艦からの魚雷を受け撃沈された事件です。『対馬丸』に乗っていたのは兵隊ではなく疎開に向かう学童とその引率者だけであったにもかかわらず攻撃され、6歳から15歳の学童の約820名が亡くなった,ということでした。戦争は,夢や希望を待った,将来のある人たちの命を無情に奪う行為であることを思い知らされました。



偶然にも横山先生が講演して下さったその日,『秋田町空襲』の取材を受けた横山先生の記事が9月3日付の徳島新聞に掲載されました。

子どもたちの感想
・徳島にも空襲があったことは初耳だったので驚きました。
・体験談を聞いて,罪のない人たちが大勢空襲で死んでしまったことを知り,改めて戦争はむごいなと思いました。
・戦争のない平和な国に自分が生まれたことに感謝しつつ,二度と悲惨な戦争を繰り返さないようにしていきたいと思いました。
・戦争は人の性格までも変えてしまう。そんな中でも空襲に遭っている所に命をかけて助けに行った人たちの行動は本当にすごいことだと思います。
・世界各地では未だに戦争をしている国がたくさんあります。たくさんの命が奪われる戦争は絶対にしてはいけないと思います。
・横山さんの話を聞いて戦争のことを身近に感じることができました。
・身近な海で私と同じくらいの人がたくさん亡くなったのはとてもつらいことだと思います。
・戦争は人を殺すのが当たり前になってしまうのでするべき事ではないと思いました。
・日本はまたいつか戦争をしようとするかもしれません。その時に戦争反対と言えるような勇気を持ちたいと思いました。
・焼夷弾を落としていた人は笑っていたと聞き,とてもムカつきました。戦争は人の心を変えてしまうんだと悲しく思いました。
・今まで戦争は自分に関係ないと思っていたけど,自分のことと思って考えなければいけないと思いました。
・最初はあまり考えていませんでした。でも,一人一人が二度と戦争を起こさないために考えて行かなければいけないと思いました。
子どもからは色々な意見や感想が出ていました。上の感想がその一部です。これから修学旅行で沖縄に行きます。それまでにさらに戦争の悲惨さと平和の大切さ,命の尊さについて学んでいきたいと思います。