ウルムチ暴動を在日から見ると……日本も他人事ではない
7月13日11時6分配信 サーチナ
新疆ウィグル自治区ウルムチ市の暴動を伝える報道は、中国の少数民族政策に関心を寄せる者にとっても衝撃的でした。西部開発計画をはじめ貧困と経済停滞に悩む少数民族地区の救済を念頭に入れた中央政府の様々な開発政策による一定の経済的底上げにもかかわらず開発の進行によって富はむしろビジネスを主導する漢族に集中してしまい、格差の増幅や少数民族地域へ流入する漢族人口の増加に中央・地方官僚の汚職横行も重なって少数民族側のフラストレーションは緩和されていないということは、多くの中国研究者によって指摘され中国外マスメディアによって報道もされてきました。
報道で見る限り、おそらくは6月の広東省韶関にあるオモチャ工場での民族衝突に抗議するウイグル学生の平和的デモが今回の暴動の発端だったようですが、衝撃的だったのはウイグル族のデモ隊が漢族らしき男性を公衆バスから引き摺り下ろして暴行を加える映像やウイグル族暴動の翌日に登場した漢族デモ隊の姿です。とりわけ後者は屈強そうな男性の一群が陽光に輝く鉄パイプや大型のスコップを手にして街頭を威圧しながら行進し、ついにはウイグル青年たちの集団に突入していく光景までをも写しています。民衆対権力の図式ばかりでなく、民衆同士による相討ちの図はショッキングというしかなく、またその状況が直接外部に報じられたこと自体、稀有であるゆえに事態の深刻さをいっそう印象付けました。ウイグル族はマジョリティから受ける日常的蔑視に反発する一方、漢族の中には進学や就業で優遇される少数民族に反発があるとする報道も出ています。
こうした事態の発生そのものは中央政府の失政によるものであり、マジョリティに根深い「大漢族主義」思考の存在も見せ付けます。しかし留意したいことは、中国政府は建国以来「全ての民族は平等」であるという原則のもと、少数民族に対しそれなりに気を使った政策も行ってきたという事実です。少数民族扱いを認めず独立や「高度な自治」を求めるウイグル族とチベット族に対しては現行のままの政策ではもはやコントロールは難しくなるかもしれませんが、55あるとされる中国内少数民族全てが漢族からの独立を求めているというわけではなく、その大半はさまざまな矛盾を抱えながらも漢族との共存の道を歩んでいます。中国の多面性にあらためて着目する必要があります。
一方で、今回の事態は日本にとっても他人事とはいえないはずです。日本を「単一民族社会」とする言説はさすがに減ってきたようですが、少子高齢化による労働人口減を外国人労働者の大量受入で埋め合わさざるを得ない現代にあっても、日本には「マイノリティ政策」の概念は薄く、あるのは相変わらず法制度による「外国人管理」ばかりです。折りしも去る7月8日、国会で審議中だった難民認定および出入国管理法改定など新しい「外国人在留管理」を目指す法案が参議院で可決、成立しましたが、個人情報を詰め込んだICチップつき在留カードを新設して常時携帯させる条項など、外国人を「住民」として社会的に受け入れるよりは常に管理監視が必要な敵対的存在に追いやるかのような法の基本思考に、当該の在日外国人や日本の市民団体から強い批判が出されています。一方で近時には「在日特権」という言葉が特定の若者たちの心をつかみ、在日外国人や少数民族を標的にした排外主義が顕在化する動きも見え始めました。程度の差はありますが、これはウルムチの民族対立や民衆間憎悪の構図とどれほどの違いがあるのでしょうか。
漢族青年たちが手にしていた光り輝く鉄パイプの映像を、日本社会のマイノリティである私は心の底から恐ろしいと思います。(執筆者:鄭雅英 立命館大学准教授)
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090713-00000061-scn-cn
個人的感想はblogのタイトル通りですw
記事のタイトルに惹かれて読んで見ましたが、オチが強烈過ぎて笑ってしまいました。
7月13日11時6分配信 サーチナ
新疆ウィグル自治区ウルムチ市の暴動を伝える報道は、中国の少数民族政策に関心を寄せる者にとっても衝撃的でした。西部開発計画をはじめ貧困と経済停滞に悩む少数民族地区の救済を念頭に入れた中央政府の様々な開発政策による一定の経済的底上げにもかかわらず開発の進行によって富はむしろビジネスを主導する漢族に集中してしまい、格差の増幅や少数民族地域へ流入する漢族人口の増加に中央・地方官僚の汚職横行も重なって少数民族側のフラストレーションは緩和されていないということは、多くの中国研究者によって指摘され中国外マスメディアによって報道もされてきました。
報道で見る限り、おそらくは6月の広東省韶関にあるオモチャ工場での民族衝突に抗議するウイグル学生の平和的デモが今回の暴動の発端だったようですが、衝撃的だったのはウイグル族のデモ隊が漢族らしき男性を公衆バスから引き摺り下ろして暴行を加える映像やウイグル族暴動の翌日に登場した漢族デモ隊の姿です。とりわけ後者は屈強そうな男性の一群が陽光に輝く鉄パイプや大型のスコップを手にして街頭を威圧しながら行進し、ついにはウイグル青年たちの集団に突入していく光景までをも写しています。民衆対権力の図式ばかりでなく、民衆同士による相討ちの図はショッキングというしかなく、またその状況が直接外部に報じられたこと自体、稀有であるゆえに事態の深刻さをいっそう印象付けました。ウイグル族はマジョリティから受ける日常的蔑視に反発する一方、漢族の中には進学や就業で優遇される少数民族に反発があるとする報道も出ています。
こうした事態の発生そのものは中央政府の失政によるものであり、マジョリティに根深い「大漢族主義」思考の存在も見せ付けます。しかし留意したいことは、中国政府は建国以来「全ての民族は平等」であるという原則のもと、少数民族に対しそれなりに気を使った政策も行ってきたという事実です。少数民族扱いを認めず独立や「高度な自治」を求めるウイグル族とチベット族に対しては現行のままの政策ではもはやコントロールは難しくなるかもしれませんが、55あるとされる中国内少数民族全てが漢族からの独立を求めているというわけではなく、その大半はさまざまな矛盾を抱えながらも漢族との共存の道を歩んでいます。中国の多面性にあらためて着目する必要があります。
一方で、今回の事態は日本にとっても他人事とはいえないはずです。日本を「単一民族社会」とする言説はさすがに減ってきたようですが、少子高齢化による労働人口減を外国人労働者の大量受入で埋め合わさざるを得ない現代にあっても、日本には「マイノリティ政策」の概念は薄く、あるのは相変わらず法制度による「外国人管理」ばかりです。折りしも去る7月8日、国会で審議中だった難民認定および出入国管理法改定など新しい「外国人在留管理」を目指す法案が参議院で可決、成立しましたが、個人情報を詰め込んだICチップつき在留カードを新設して常時携帯させる条項など、外国人を「住民」として社会的に受け入れるよりは常に管理監視が必要な敵対的存在に追いやるかのような法の基本思考に、当該の在日外国人や日本の市民団体から強い批判が出されています。一方で近時には「在日特権」という言葉が特定の若者たちの心をつかみ、在日外国人や少数民族を標的にした排外主義が顕在化する動きも見え始めました。程度の差はありますが、これはウルムチの民族対立や民衆間憎悪の構図とどれほどの違いがあるのでしょうか。
漢族青年たちが手にしていた光り輝く鉄パイプの映像を、日本社会のマイノリティである私は心の底から恐ろしいと思います。(執筆者:鄭雅英 立命館大学准教授)
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090713-00000061-scn-cn
個人的感想はblogのタイトル通りですw
記事のタイトルに惹かれて読んで見ましたが、オチが強烈過ぎて笑ってしまいました。