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大事件の風化

2012-09-12 11:15:27 | Weblog
昨日、9月11日は昨年の東日本大震災から1年半、アメリカの同時多発テロ、WTCビルへの旅客機の突入から11年目にあたる。
こういう大事件も年月とともに風化するのが自然の人間の在り様だと思う。
人間は昔から『考える葦』と言われて、自然のままの状態であれば、時の経過とともに風化していくものを、『考える』ことによって故意に風化させないようにしている。
その為には、恣意的な力を作用させなければならないので、この部分に人間の『考える力』が力を発揮するわけで、その『考える力』は人間の潜在意識としての欲望にコントロールされている。
つまり、煩悩に翻弄され、理性とか知性が欲望に抑え込まれて、自然人の発想が自然のままに噴出してしまうということで、それは限りなく動物に近い存在ということになる。
『考える力』でもって人間の基本的な欲望を抑え込むようにすれば、『考える葦』が真に『考える』という行為をなすことになるが、人間であるが故に、どうしても潜在意識には抗うことができず、煩悩に支配され、野生動物に酷似しがちになる。
如何なる大事件でも放っておけば風化するわけで、風化させないためには、次世代に対して執拗に教育するほかない。
日本の周辺諸国、つまり中国や韓国は戦後67年間ずっとこれをしてきている。
これは中国や韓国の人々の有史以来の潜在意識としての対日感情であって、その背景には戦前の日本支配まで続いた対日蔑視とも密接にリンクしていたのである。
アジアの民においては、漢民族も朝鮮民族も、有史以来、日本民族を蔑視していたけれども、それが明治以降、日本民族に支配されたということは、彼らにすれば筆舌に尽くせないほどの面目を失ったわけで、その怨嗟の気持ちを風化させないように、教育で下支えしているのである。
中国や韓国の人々が、有史以来の潜在意識としての対日蔑視の感情を持ち続けていたということは、彼らの思考が自然のままであって、そこには彼らの精神の進化はみられず、自然の在り様そのままの姿を晒しているということである。
つまりそこには文明の光が差し込んでいないという事だ。
こちら側が、論理的で合理性に富んだ話し合いをしようとしても、議論が噛み合わないことは当然のことで、なんとなれば彼らは文明の対極にある野蛮人に他ならないからである。
自己主張のみを大声でがなり立てて、こちらの話を聞こうともしない態度は、こちらを蔑視している歴然たる証拠ではないか。
過去の事件を風化させることなく、いつまでも怨嗟の気持ちを持ち続けては、未来志向は生まれてこない。
我々の国もアメリカの占領を6年半受けたけれど、占領という屈辱を前向き思考にすり替えたので、戦後の日本の復興があったが、それも世代交代の時期を迎えたので、日本の繁栄も尻下がりになっている。
我々の新しい世代は、戦後の繁栄に胡坐をかき、戦後という苦難の時代があったことを亡失しかけているが、海の向こう側では、教育によって対日蔑視を煽りつつ、それを民族の繁栄の起爆剤に繋げるべく、反日教育に力を入れている。
別の意味で歴史の風化を教育によって防いでいるともいえる。
その先には歴史を「外交交渉の切り札にする」という、我々の発想では野蛮としか言いようのない想定外の思考を彼らはしようとしている。


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