誹謗・中傷・罵詈雑言・承り処

私のホームページを見て、講評、批判を受け付ける場。

本日の収穫

2008-06-28 10:45:08 | Weblog
梅雨の晴れ間を利用して前の家庭菜園から収穫してきた成果である。
今シーズンはスナックエンドウや穂高マメの収穫では、私としては成功したほうであったが、最近はナスやキュウリがよく採れる。
自分で作ったものを自分で収穫するというのも何かしら満ち足りた気持ちになる。
これから物価高が予想される折、自給自足体制を考えて、もっともっと真剣に野菜つくりに励まなければならない。
残念なことにトマトは思うように生育してくれない。
実はかなりできているが、それがどういうわけか大きくならずに途中で腐ってしまう。
その代りズッキーニが採れる。

タマネギ

2008-06-20 07:10:34 | Weblog
今年の家庭菜園の成績はまあまあである。
タマネギを取り入れたのは一カ月ほど前であるが、今年のタマネギの出来も私としてはまあまあの出来であった。
ところが、例年あまり出来が良くないので、今回は最初から植え付ける苗の数を遠慮してしまった。
それで収穫量もそれに比例して少なかった。
ところが、こういう時に限って需要が多く、あちこちにおすそ分けしていたら残りが少なくなってしまった。
遊び気分の家庭菜園なので、旬のうちにおすそ分けすることはいささかも苦痛ではないが、残りが少なくなるというのもさびしい気持ではある。
あまり大事にしすぎて、芽を出させるよりは早く消費したほうがいいに決まっているので、意に介さないようにしている。

ジャガイモ

2008-06-17 06:32:15 | Weblog
梅雨の晴れ間が続き、家庭菜園のジャガイモを掘り起こした。
今年はどういうものか非常に成績がよい。
いつもならばゴルフボールぐらいのものしかできなかったが、今年はソフトボールぐらいのものがゴロゴロと出てきた。
で、家内がそれをもって嫁いだ娘のところにもっていった。
それを使って娘がコロッケを作ったらしいが、作るはなから旦那さんが平らげてしまった、といって愚痴っていたらしい。
私はこの話を聞いて嬉しかった。
私の作ったものを娘婿が喜んで食べてくれたかと思うと心温まる思いがした。


穂高マメ

2008-06-16 06:49:30 | Weblog
1ヵ月ほど前にスナックエンドウの収獲のことを記したが、今は穂高マメが収穫できるようになった。
これも湯がいて醤油をつけて食べるとこの上もなく美味である。
私は性来あわてんぼうで、気が早くて、完全に実らないうちから採ってしまうので、それを我慢してぎりぎりまで実らせて、十分に実ってから採ると、それこそ売りものにでもなりそうに立派なものになる。
地面を這いまわって、その努力が報われて、それなりの成果が出ると、自分の作ったものが如何ほどの価値になっているのか気になってくる。
それでスーパーの野菜売り場に出向いて、そこの商品と見比べてみるのだが、スナックエンドウのときはスーパーの店頭に見当たらなかった。
穂高マメについてはまだその機会がない。
こうものが高くなると、われわれもいよいよ自給自足で食べ物を確保しなければならない時が来るのではなかろうか。
そう長生きを願うわけではないが、自分の食うものを自分で作るということは、それに見合うだけの楽しみがある。

谷瀬の吊り橋

2008-06-14 14:57:50 | Weblog
本宮大社を参詣して、またまた道なりに国道168号線を北上して谷瀬の吊り橋についた。
ここに来るまでの途中、道は狭かったり広かったり、トンネルを潜ったり滝を見たりと変化に富んでいたが、舗装はきちんとされていたのでそれほどの苦労はなかった。
しかし、日本の秘境に変わりはない。
日本の秘境といえば、われわれはどうしても中部山岳に目が行きがちであるが、この紀伊半島の真ん中も決して中部山岳に劣ることのない立派な秘境である。
秘境自慢しても意味のない事ではあるが、昨今は自然回帰の風潮が強いのでこういうことも話題になっている。
谷瀬の吊り橋は長さ約300m高さ約40mで、同行の女性軍はそれぞれに度胸のなさ、気の弱さを自慢しあっていた。

大斎原(おおゆのはら)

2008-06-13 07:58:43 | Weblog
翌日は本宮大社に移動したが、このお宮さんのある町は山間に開けた静かな町で、山に囲まれていた。
当然のこと熊野川の川岸にあるわけだが、その清流と周囲の木々が非常によくマッチしている。
まさしく日本の原風景という感じがする。
駐車場は本宮大社の山のふもとにあったが、われわれは最初、道路を渡った反対側にある、元の社を見に行った。大斉原(おおゆのはら)という。
ここは田んぼの中の鎮守の森という感じの場所に大きな鳥居が鎮座していた。
その鳥居はくすんだ色合いの黒くて大きなものであったが、境内の説明板によると、明治22年の大洪水で社殿もろとも流されて、2年後に今の山の上に建立されたとなっている。
私はこの説明を見て、腑に落ちない。ちょっと待てよという気がした。
神様が洪水の来るようなところに社を構えること自体神様らしくないではないか。
現代の感覚でいえば、活断層の上にビルを作るようなものではないか。
神様が自分の住まいを大水に流されるなどということは、神様としての自己責任の放棄ではないかと、神様不信に陥った。
神様ならば洪水を避け、あるいは最初から洪水の心配のない場所を選定するとか、神様らしい身の処し方があったのではないかと考えた。
神様もこういう失敗をするのかと思うと、「俺と同じではないか」と妙な安心感が湧いて来た。

絢爛豪華な夕食

2008-06-12 08:32:17 | Weblog
ウオータージェット船で瀞峡を見学して、すぐに渡瀬温泉の宿泊所、ささゆりというホテルに投宿した。
山間の静かなホテルという感じで、ロビーにはマウンテンバイクなどがあったところを見ると、きっとそういうもので近くを散策できるに違いない。
こういう場合、着いてすぐに風呂に行くというのが日本人の旅行のパターンとしては定番である。
で、早速、私は着替えて館内の風呂に行った。
どうも同行のメンバーが現れないなあと思っていたら、彼らは館の外にある西日本最大の露天風呂の方に行ったらしい。
風呂から上がっても一向に彼らの姿がない。
部屋にも入れずいささか腹が立ってきたが、仕方がないのでロビーで彼らが現れるのを持っていた。
そのうちにぞろぞろと皆湯上りの赤い顔して帰って来た。
夕食の時間になり、指定された席に着くと、そこに現れた料理の豪華なことと言ったらない。
日本料理は器ばかりだという批判もあるにはあるが、それでも全部食べれば量的にも満腹にはなる。
この時の料理はまさしく絢爛豪華そのものであった。
その食事を終えるとホタル観賞に車が用意され、促されるままそれに乗ってホタルを見にいったが、これがまた実に見事なホタルの乱舞であった。
ホタルの乱舞は、我々ごときアマチュア写真家には撮影できないのが残念であった。

ウオータージェット船

2008-06-11 06:11:50 | Weblog
新宮から168号線を川沿いに北上すると、途中志古というところにウオータージェットの乗り場があった。
昔は確かプロペラ船と言っていたはずであるが、今ではウオータージェットというらしい。
ここから瀞八丁までの航行であるが、十津川あるいは熊野川というのはまさしく日本の秘境に近い。
太古から京都の公家たちが熊野詣という習わしで何度も行きかっているにもかかわらず、秘境として残るということは一体どういうことなのであろう。
東海道でも山陽道でも人の行きかうところは開発されて当然なのに、ここでは開発されずにそのまま残るということは一体どういうことなのであろう。
地域全体が信仰の場となっているからであろうか。
川の水はどこまでも清く、天然のアユが豊富にいそうな川であるが、やはり暴れるときは暴れるのであろう、それが自然というものだと思う。

速玉大社

2008-06-10 06:49:44 | Weblog
このブログもしばらくの間閑古鳥が鳴いていたが、また再開することにした。
中断した特別の理由というのもない、その間書く意欲が減退していたことは確かで、特別な理由があって絶筆していたわけではない。
一度、絶筆宣言のようなことを言って見たい。
8日と9日に熊野古道の入口に行った。
熊野古道を歩く目的で行ったわけではなく、単純に観光目的だったので車で出かけたが、紀伊半島の先っぽ、新宮まで実に遠い。
紀勢自動車道の大宮大台インターから先は国道42号線を走ることになるが、この道路の右左に高速道路の橋脚が出来ており、いづれは開通するのであろうが、開通した暁には確かに便利になるには違いない。
道路特定財源の話は古くて新しい問題であるが、この高速道路が出来れば紀伊半島が便利になる。
しかし、投資した金の回収ということが果たして可能かどうかはまた別の問題のようだ。
先回、四国まで行ったが四国には3本も一気に橋が掛かってしまったが、あれが果たして採算性があっているのかどうか、極めて疑問だ。
紀伊の国にも高速道路を作って、地元住民が利便性を高めることは良い事には違いないが、果たして金を投ずるに値するかどうかまた別問題だと思う。
で、新宮の速玉神宮には昼少し前に着いた。
日本古代からのお宮さんというからもっともっと厳かな雰囲気に包まれているかと思ったが、案外簡素な佇まいで驚いた。