誹謗・中傷・罵詈雑言・承り処

私のホームページを見て、講評、批判を受け付ける場。

小野田寛郎氏

2008-01-29 22:05:48 | Weblog
29日の20:00からのBSフジ、メッセージjpという番組で小野田寛郎氏のインタビューを放映していた。
彼の話は可能な限り聞き漏らすまいと心しているが今回の話も極めて示唆に富んだ良い話であった、。
彼は中野学校の出身で、情報将校として習得した技術が彼を戦後30年間もジャングルの中に留め置いたものに違いない。
彼の言い分によると「生きよ、玉砕するな」と命令されていたから生き延びた、というものであるが、実に含蓄に富んだ言葉だと思う。
そんじょそこらのインテリーの言う奇麗事や美辞麗ではない、真に迫る生きた格言のように見える。
中野学校の中では、あの重苦しい世代にもかかわらず、何でもあけすけに言いたい放題に意見が開陳できていたらしい。
そうでなければ孤独な環境の中で、自己の判断での命令遂行が難しいので、自己の信念に忠実たれということが強調されていたらしい。
それにしても彼が最初に登場したときには驚いたものだ。
まさしく日本陸軍の亡霊が現れたように見えたものだ。
ボロは着てても心は錦。あの堂々たる敬礼にはおおいに敬服する。


ロウバイ

2008-01-28 19:52:53 | Weblog
今日、庭に出てみたら、ロウバイが2、3花をつけていた。
ロウバイと言うのだからきっと梅なのであろう。
それにしても又難しい名前だと思う。
植物の名前はカタカナで表記するのが正式らしいが、ワードで変換すると「蝋梅」という字も出てくる。
蝋の梅というだけあって、その花はなんとなく蝋のような艶がある。
実が付くのかどうか定かに記憶がない。

朝日ドットコムの記事

2008-01-26 10:00:01 | Weblog
本日の朝日ドットコムに
http://www.asahi.com/international/update/0126/JJT200801260001.html
夫婦喧嘩をする夫婦はしない夫婦よりも2倍生存率が高いという趣旨の記事があった。
アメリカでの話しだが、どうもにわかには信じがたい。
我が家などは夫婦喧嘩が常態化しているのだから、長生きしてしまうということだろうか。
これは困った。
今の年になったら一刻も早くこの世におさらばしたいと思っているのに、それが叶わないとなると考え物だ。
早死にしたかったら、夫婦喧嘩などせずに一方的に耐えなければならない、ということらしい。
それがいやだから早死にしたいのではないか。
「俺が先に逝く」「いや私のほうが先に逝く」でまたまた喧嘩が繰り返されるようでは、死神にも見放されると言うことか。
常識的には夫婦喧嘩をすればストレスが高じて早死にしそうであるが、事実はそれが間違っているというのだから驚く。

「クローズアップ現代」

2008-01-25 08:51:48 | Weblog
昨日、NHKテレビの「クローズアップ現代」を見ていた。
ハンドボールのアジア予選のことを報じていたが、ハンドボールのアジア地区の連盟は、中近東の人々に牛耳られているので、こういう齟齬が起きると報じられていた。
その冒頭、ほんのちょっとしたカットで、アラブの衣装を着た役員であろう、「スポーツは政治だ」と発言したのを私は見逃さなかった。
と言うことは、中近東の人々にとっては真のスポーツマンシップというものが理解されていないということで、ただ単なる演技あるいは演出に過ぎないということである。
審判が、時の為政者の力や金の力で勝敗を決するなどいうことであれば、スポーツの意味を成していない。
中近東の人々はまさしくべドウインのネイテイブ・スピリッツのままの意識でしかないと言うことだ。

タバコの害

2008-01-22 11:32:56 | Weblog
私はがん患者にもかかわらず、いまだにタバコが止められない。
いつも家内と喧嘩しながら、死に直面しつつ吸っているが、先日われながら大失敗をした。
吸殻入れには蓋があるので、いつも火を消さずにそのまま入れていたが、今までは何事もなかった。
ところが先日の異常乾燥の日、この灰皿の中身が燃え出してくすぶってしまった。
で、その蓋の裏を見るとニコチンが抽出されて層を成しており、蓋の裏に塗布された様になっていた。
タバコのニコチンが一目瞭然に現れて自分でも恐ろしくなった。
これに懲りて禁煙となれば目出度い話だが多分そうはならないであろう。
何事にも飽き性の私だが、タバコに関してはそれが当てはまらないのもわれながら不思議だ。

 

ハガキ

2008-01-21 13:02:21 | Weblog
今年の春から小学校に上がる孫からハガキが送られてきた。
まだ字も習っていないはずで、文字が不鮮明、不確かなのは仕方がない。
だからといって、宛名までそれでやられたのでは郵便局もさぞ大変だろうと、その苦労がしのばれる。
親(娘)は一体何をしているのであろう。
内容のほうは本人に書かせても、宛名ぐらいは大人が書いてやらないことには郵便局もさぞ困るだろうと思う。
しかし、こんな幼児の書いた宛名できちんと配達してくれた郵便局は偉い。




孫からのハガキ





スナックエンドウの手

2008-01-17 09:39:05 | Weblog
去年の年末ころ、畑にスナックエンドウの種をまいた。
芽が出るかどうか心配であったが、神様は私のような怠惰な人間にも分け隔てなく恵みを与えてくれた。
寒風の中で一列に行儀よく芽を出してくれたので、年が明けてからそれに手を取った。
ネットは数年前、何かの手にと思って購入したまま、庭の片隅に放置していたものだが、素材が科学繊維なので腐りもせずそのまま使用できた。
昨年も同じようにスナックエンドウを蒔いたが、袋に「つるなし」となっていたので手を取らずにいたため、地を這うように成長して収穫しづらかった。
それで今年はその反省の上に手を取ってみたが、果たして結果はどうなることでしょう。

名古屋大学の公開講座

2008-01-12 18:24:34 | Weblog
12日の午後、名古屋大学の公開講座を受講しに行ってきた。
演題は「黒潮の変動と我々のくらし」というもので、我々の生活に身近な題材であったので、楽しく聴けた。
黒潮という言葉は普通の生活でもよく聞いたので、その成り立ちから、それにまつわるお魚の話まで、実に楽しく講義が聴けた。
大学というものが一般市民向けにこういうわかりやすい講座を開設することは大事なことだと思う。
大学が「象牙の塔」のままで、偉い学者さんたちが習得した高度な知識を死蔵するのではなく、一般市民に対して公開するということは、今の時代では当然のことのように思う。
国立大学(今は正確には独立法人というらしいが)の先生方というのは、国民の納めた税金で自らの生活費を賄い、研究のための資金も国民の税金が使われていることから考えれば、その成果を国民に公開して当然である。
案内書に記載してあった地図を頼りにレクチャールームを探したが、これがことのほか難儀であった。
大学構内を30分ほど、あっちに行きこっちに行きと迷いに迷った。
というのも、ここのキャンバスは雑木林を開拓して出来ているところまでは良いが、建物が実に無秩序に並んでいる。
その上、その建物の表示が有ったり無かったり、表示板が小さかったり案内表示が有ったり無かったりと部外者にはまことに不親切だった。
大学のキャンバスなどというものはアートでなければならないと思う。
学問を究める場所などというものは見た目も大事で、芸術的な存在でなければならないと思う。
建物表示などは企画を統一して、一目で遠くからでもわかるようにすべきだと思う。
僻地の開拓村のような風情ではあってはならない。
察するところ、ただただ縦割り行政そのままに、学部別に思い思いに空いたところに好き勝手に箱物を置くというような感覚ではならないと思う。
少なくとも部外者が入り口の案内標識を見れば迷うことなくたどり着けるぐらいの配慮があってしかるべきだ。
最高学府の施設なのだから、キャンバス内の施設の配置や、使い勝手においても、最高学府にふさわしいセンスと知性と理性が見られるようなものであってほしい。

小学校の反応

2008-01-12 08:38:48 | Weblog
昨日、地域のボニター(ボランテイア&モニター)の例会に出席したら、前日に小学校の一斉下校に関連して下校時の児童見回りを実施したことが報告された。
そのことが、その小学校のホームページに報告されていたというので、今日検索して確認したところ、確かに掲載されている。
実にすばやい対応だ。
先回紹介した青色回転灯の件も、学校が違うのでどうかなと思って再度確認してみると、確かにこれもアップされている。
今の小学校の先生方も実に大変なようだ。
それと同時にまさしく情報化の時代だと思う。