誹謗・中傷・罵詈雑言・承り処

私のホームページを見て、講評、批判を受け付ける場。

『34丁目の奇跡』

2010-01-29 08:20:17 | Weblog
朝から雨が降っていて家の中ではテレビを見るほか身の置き所がない。
それでビデオテープやDVDの山の中から適当なものを引っ張り出して見ようとした。
たまたま手にとったのが「34丁目の奇跡」という作品であった。
内容的には子供向けの他愛ないストーリーであって、サンタクロースがこの世に実在するかどうかを裁判で争うという話であるが、真剣にリアルな視線で眺めれば明らかに矛盾を含んでいるが、子供に夢を与えるという意味でサンタクロースが実在するという結論に話を持って行くというものであった。
子供向けの実に他愛ない話ではあるが、私はこういう話に実に弱い。
もともと根が阿呆にできているらしい。
きっと脳みそを締めつけるネジが2、3本抜け落ちているのであろう。
「男はつらいよ」を見ても、「釣りバカ日誌」をみても、何でもないところで涙が出、鼻水が出、目が潤んできてしまう。
つまり映画やテレビドラマを見ると実に安易に感情移入が起きて、そのストーリーに引き込まれてしまい、喜怒哀楽がそのまま露呈してしまうということなのであろう。

『天使にラブソングを』

2010-01-23 10:42:40 | Weblog
昨夜、民放テレビで「天使のラブソング」という映画を放映していた。
私はこの映画が大好きで、上下2巻DVDで持っており、ときどき見ている。
まさしく、実に面白い作品で何度見ても飽きない。
敬虔な修道院の尼僧がラップ・ミュージックを演じるシーンを見ていると、ついつい頬が緩んで、笑みが漏れてしまう。
何が面白いかというと、いわゆる褒め殺しのセリフが何とも言えぬユーモアを醸し出している。
相手をうまい具合に褒めて、自分に対して怒っている感情を骨抜きにしてしまう言葉の妙が、実に絶妙のおかしさを滲ませている。
ある大学の学園祭を見に行ったとき、学生たちがランプ・ダンスをしていたが、彼らはこの映画の影響を受けたとリーダーが言っていた。
この映画の良さのわかるのは私一人かと自負していたが、それは私のうぬぼれに過ぎなかった。

夢の浮橋

2010-01-18 07:58:52 | Weblog
朝、いつものように目を覚まし、いつものように着替えて、いつものようにコーヒーをドロップし、いつものように朝刊を取りに行った。
すると新聞が新聞受けから落ちているではないか。
あれ!おかしいなあと思いつつ中を覗くと宅急便は入っていた。
それを開けると一冊の本は出てきた。
差出人を見れば、私の属している自分史の会の会友の名であった。
「さてはまた出版されたな」と思って封を開けるとまさしくその通りで、さもありなんと思った。
この本の序文を同じ会の講師が書かれていたが、この序文が実によく書けていたので、ついつい思わず知らずUPしなければと考えた。
この本の著者も講師も会の活動を通じてよく知っている人たちなので、身近な人が出した本という訳で、内容に関しては部分的に既に知っているところもあるが、物を書くと言う楽しみは実に愉快なことだと思う。
先日も村上春樹氏の悪口をどこかに書いたが、その後あるところで古本の週刊誌を読んでいると、彼を非常に持ち上げた記事があった。
それで考えた。若い世代と我々オールドで世代では、感性とか感受性というものにズレがあるのが当然だろうと思う。
そのズレを受け入れて容認するかしないかは読者の側の選択であって、そういうことを考えるとこの本の著者の文章は、我々世代が安心して読み進めることができる作品である。

野鳥との攻防

2010-01-08 14:07:58 | Weblog
年が明けて我が家のミカンもぼちぼち最盛期を過ぎて熟しすぎた感が出てきた。
今までに、家を出た息子や娘にも送り届け、まわりの人にもお裾分けしたが、それでもまだ十分に残っている。
それを狙って野鳥が来てついばんでいるが、これを家内が目に敵にしている。
こういう果実は、最後は野鳥のためにいくらか残してやるのが人としての仁義だと私は思う。
しかし、家内はそれが我慢ならないらしい。
木全体にネットを被せて、一つたりとも取られてなるものかという意気込みで構えているが、所詮、相手が上手だ。
何時の間にか食い散らかされてご覧のとおりの有り様になる。
ネットを被せたといっても本格的なものではなく、あくまでもこけおどしに過ぎないので、敵にとっては何の障害にもなっていないのだろう。

4人のベビーギャング

2010-01-02 11:34:02 | Weblog
年が明けたらホワイトクリスマスならぬホワイト正月になっていたのでびっくりした。
午前中は「朝まで生テレビ」を録画で見ていたが、昼を過ぎると家を離れた子供たちがそれぞれ子供を連れてやってきた。
まさしくベビーギャングそのもので、家の中はてんやわんやの大騒ぎであった。
彼らは一年に一度の従妹同士の再会なので興奮のしようも尋常ではない。
しかし、ゲームをしているときは水をうったように静かである。
この4人は私の宝といってもいい。

『朝まで生テレビ』

2010-01-01 13:42:58 | Weblog
又一つ馬食を重ねて平成22年になってしまった。西暦2010年。
1940年生まれ私は70になってしまったが、よくもこれだけ恥の上塗りを重ねたものだと思う。
昨日の大みそか恒例のNHK紅白歌合戦も見ることなく早寝してしまった。
紅白歌合戦を見なくなったのは何時頃からだろうか、ずいぶん昔のような気がする。
私はメデイアに関してはNHKさえあれば他の民放は一切なくても良いと思っているほどNHK一辺倒の人間であるが、この「紅白歌合戦」と「素人のど自慢」だけはどうしても見る気がしない。
昔はそうでもなく、まだ黒白テレビのころは、大みそかともなれば早目に風呂に行って、ちゃぶ台の前に座って、この番組の始まるのを首を長くして待っていたこともあった。
それを見なくなってしまったのは、出演者が自分たちで楽しんでしまって、木戸銭を払っている視聴者を置き去りにするようになってからだと思う。
「歌合戦」と言いながら歌をじっくり聞かせるのではなく、漫談やら、漫才やら、訳のわからないトークや、悪ふざけの度が過ぎるので見る気が殺がれてしまう。
こちらが年寄りになった所為もあることも確かだ。
それで、民放で放映された田原総一郎の「朝まで生テレビ」を録画しておいて、元旦の午前中にそれを見た。
各人の其々の論点は、それぞれに立派であったが、全体として完全に抜け落ちた話題がある。
ばらまき行政の話の陰に隠れてしまって論じられなかったが、失業者の問題があり、目先の職を失った人を如何に救済するかということがあったはずだが、それが話題にならなかったことは極めて残念なことだ。
というのは、今の日本には仕事そのものが無いわけで、働く場がなくなっているという現実を直視する視点が抜け落ちている。
失業者を救済するには彼らに仕事を与えなければならないが、彼らに与えるべき仕事がそもそも無いわけで、仕事がないので働かせる場所がない、という論点が抜け落ちて、目先の議論のみが空回りしている。
今の日本に仕事がないということは、製造業がすべて人件費の安い海外に拠点を移してしまったので、我々の周りに産業の空洞化が起きたからであって、失業者を救済するならば、海外に出た製造業を再び日本に呼び戻さなければならない、ということを誰も指摘していなかった。
今の日本の経済の低迷は、全て製造業が生産拠点を人件費の安い海外に移してしまったことにあると思う。
その事による産業の空洞化の中で、中小企業には仕事が回らず、企業の設備投資も控えざるを得ず、銀行も金の借り手が見つからないという悪循環に陥っている。
そこに鳩山政権が公共事業を18%もカットすれば、景気の回復は絶望的だと思う。
人件費の安い土地に産業がシフトしていくというのは資本主義社会の宿命であって、失業の問題、雇用の問題はそこに目を向けなければならない。
今回の「朝まで生テレビ」ではそこに注目した人がいなかった。