将棋おたくのつぶやき

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いい詰将棋って?

2012-08-16 16:58:48 | 将棋
 それなりの収束に難しい序を逆算すれば高評価を受ける・・・そんなふうに考えていた時期が私にもありました

 @proparaさんのtweetについてです。
 入選経験のほとんどない私でも、なんとなく感じます。素材もそれほど、大した技術を使わずちょっと逆算しただけでも、「解答者ウケ」する方向性を選ぶことで、平均点が上がる。
 もちろんあのtweetは「解答者は無視してよい」という意味ではないでしょう。「解後感だけで評価しないでほしい、もっとほかにも作品にとって重要なことがあるはずだ」ということでしょう。

 私自身は作図より解図のほうが好きなので、解後感は気になります。作図する立場になると、それを悪用しようとした自分に後ろめたさはありますが。

 ところで、詰将棋にとって収束とはそんなに重要なものなのでしょうか?
 立場によって違うに決まっている、という前提から思い切って書きます。
 立場というのは、詰将棋を作る動機が、「解答者が気持ちいいものを」「解答者をいい意味で裏切るものを」「作者として表現したいものを」「おめでたい場面にふさわしいものを(年賀や祝賀)」「自身の技術の向上のため」etc.など、一様に言えないからです。

 鑑賞する側にとっても立場があるでしょう。
 私の中で以前から気になっている問題があります。

 「詰将棋の中に、時間はあるだろうか」

 (ここから先は芸術に詳しい方に伺いたい・・・)
 詰将棋とは絵画的でしょうか。それとも音楽的でしょうか。
 絵画の中にも時間はあるでしょう。しかし音楽とは、時間を作者がコントロールできる部分が大きく違います。

 個人的には音楽に近いものととらえています。
 私が解く側だからかもしれませんが、解図というプロセスに、変化紛れを読む「時間」が介在します。
 詰将棋から受ける感動に、それは大きく影響していると考えます。
 最初に書いたようなやり方は、解答の時間性を操作することで作品の見せ方を工夫しているわけです。
 踊りのときに、音楽のタイミングに合わせるとかっこよく見える。それも見せ方の工夫の一つです。
 収束を決める、ということは、作品の重要な一部である「時間」をコントロールする行為と思います。

 では良い作品にとって収束は必須なのでしょうか。(続く?)

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