「理解」
人を理解するとは、どういうことなのでしょう。
その人の過去を熟知し、現在を明確に把握し、将来を的確に見通しえるほどの正確さで相手を知ることでしょうか。
そういうことでもありましょう。
しかし、そのような正確さで関心を持たれても、果して理解されたと思うかといえば、もしそこに、誤りをゆるし、悲しみを慰めてくれるようなも . . . 本文を読む
「常識」
常識というものは、その社会の風俗や習慣の中で自らつけられた筋道みたいなものでしょう。
たしかにそれは社会や時代の制約を負っていますから、
普遍的なものではありませんし、改めて取り上げてみると随分おかしな内容である場合も少くはなく、またなまぬるいものでもありますが、
それでも無視すると人間性そのものが怯やかされるような重さが、その底に潜んで . . . 本文を読む
「自由」
私たちは束縛されることのない自由な状態を願い、束縛からの解放を考えます。
しかし、生きるということは、本来束縛に耐えることなのですから、
自由な状態というのは、あるとしても瞬時でしょう。
自由への願望は、この瞬時の解放を永遠化しようとする妄執であり、
生きることへのいくじのなさなのです。
私たち . . . 本文を読む
「虚偽」
言っていることと行っていることが違うということ、
これは小さいことではありません。
それは要するに虚偽なのですが、この虚偽は、
良いことを言いながら悪いことを企んでいるとか、
出来もしないことをさも出来るかのように装っているとか、
その場ごかしのことを無責任に言っているとか、
建前で本音を巧妙に隠しているとか、
単にそういったものではない . . . 本文を読む
「改めるよりは」
人にはそれぞれ生き方のパターンのようなものが、いつしか身についています。
どんなに反省し、改めようとしても、結局人はその入らしい生き方の外には出られま
せん。
それから自由に生きている積りでも、根本的には少しも変らず、形を変えて相も変らず同じパターンが生きています。
その根深さは、それを身につけたというよ . . . 本文を読む
「無知の響き」
「頼りになるのは結局自分だけだ」、と言われます。
確かにその通りです。
どんなに親切な人も、お互い皆自分が可愛いですから、
いざとなれば手を引くでしょう。
それに何と言っても自分自身が手や足を動かすのでなければ、激励も忠告も援助も空しいわけで、自分で身を入れ、手ずから働くよりほかありません。
. . . 本文を読む
「戒」
人生は虚無だ、孤独だ、いや美だ、といろいろ言われます。
間違ってはいません。
しかし、それらにはいずれも、何かしら自分の方から人生を見ている目があります。
人生は与えられたものなのですから、そういう見方では見誤ることになりましょう。
見られているように、人生は見ねばなりません。
私 . . . 本文を読む
「土足」
人の心を土足でふみにじるな、といわれます。
たしかに、思いやりのない表面的な批判は、お互い慎まねばなりません。
しかし、もしそういう批判を受けたなら、それに抗議するよりは、それはそれとして聞いて、自分を省みる機会とするのが本当だと思います。
土足をなじることが、逆に相手を土足でふみにじることになる場 . . . 本文を読む
「断想」という聞きなれない言葉がある
京都の牧師、神学者 藤木正三氏、1927年 - 2015年1月22日
が残された言葉である
ヨルダン社(今はない)発行の「灰色の断想」あとがきから引用する
「若干の例外はあるが、断想はいずれも、実際に協会で語った毎週の礼拝説教を、できるだけキリスト教用語や表現を避けてまとめ、そして教会週報に . . . 本文を読む