虚構の世界~昭和42年生まれの男の思い~

昭和42年生まれの男から見た人生の様々な交差点を綴っていきます

黄昏のモノローグ~嫌な人の存在~

2017-12-17 07:15:40 | 小説
*このお話はフィクションです。

 昨日の暖かさとは一転して今朝はまた一気に寒さが戻ってきた。

 釧路の厳しい寒さだ。

 日曜日のこの時間、社内には誰もいない。

 今日も休日出勤だ。

 今日はイベントがある

 イベントには、とても親しくされている方も来られる。反対にクレームをつけてきた人も来る。


 嫌な人たちから受けた傷はなかなか消えない。


 無理に忘れることはしない。


 この傷の痛みが教えてくれたものもある。


 傷に耐えて、その傷を忘れない。そして、負けないように生きること、そしてそれを乗り越え成長した自分になることを信じることだ。


 33歳の時に部署が変わった。スタートで大失敗をした。お客様も参加される歓迎の式で司会を担当することになっていた。当時。司会なんて式次第を読み上げるだけだろうと安易に考えていた自分はこの後地獄に突き落とされた。



 会場の雰囲気、来賓のレベル、どれもが私にとって未知なるものだった。

 厳粛な雰囲気漂う式の中で、私の司会は大失敗することになる。

 今なら、自己紹介から始まり、季節的な挨拶、今日の式出席・会社へのご協力の感謝などを並べながら進めていくということがわかるが当時は全く準備していなかったのだ。

 会場の雰囲気がしらけ切った。そして冷たい視線が司会者に注がれた。

 最後に参加者から
「あんた、大丈夫?」
「もうあんたの会社の式には出席しないから」と

 罵声を浴びた。

 会社の人間も誰もフォローしてくれなかった。


 ボロボロだった精神状態はしばらくは続いた。


 同じような人前で話す場面は避けていた。

 三年後、同じような場面で乾杯の挨拶の依頼が来た。

 逃げだしたいほどだった。


 しかし、断る理由はなかった。

 一か月前からスピーチを何度も練習した。1000回は練習した。紹介されてからの動き方、視線、話し方、全て戦略を立てて懸命に練習した。


 緊張したが、何とかできた。


 「前の司会のことがあったので心配していたけれど、今日の挨拶はよかった」と当時の部長から言われた。


 それから、どんな場面でも綿密に計画を立てて準備をするようになった。


 それが自分のそれからの出世の原動力となった。



 立ち直れないほどの失敗をしたのに、反対にその失敗が自分に教えてくれたことのおかげで今の自分がある。


 嫌いな人、苦手な人もそうだ。何かを自分に教えてくれる。



 昭和42年生まれ、男性、50歳、役職部長、今日もがんばって生きていく。









 

2 コメント

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同様です (yottin)
2017-12-17 09:37:13
痛いほど、悪夢の経験わかります
私も25年前、アネックスの竣工式で社長から突然挨拶を指名されて
何とか出来るだろうとワンフレーズだけ記憶に留めておきましたが
地元の名士等150名の前で、頭がマッしろ1分間話せず、最後に覚えていたワンフレーズだけ話しておしまい
男を下げてしまいました・・・その後も部下の結婚式のスピーチで同じくマッしろに
それからは事前準備するようになり、今では200人くらいなら上手く話せるようになりました。
やっぱり事前準備と反復練習、これにつきますね。
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yottinさんへ (虚構の世界)
2017-12-20 17:42:13
コメントありがとうございます。

「事前準備」と「反復練習」、この言葉の重さを噛みしめています。

ありがとうございます。
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