虚構の世界~昭和42年生まれの男の思い~

昭和42年生まれの男から見た人生の様々な交差点を綴っていきます

女子バレー素人監督物語

2017-10-11 18:00:13 | 小説


 私の女子バレーに対するイメージは、監督が体育館でいつも怒鳴りまくっている光景だった。
前任校では、バレー部は地区でも強豪校の一つに数えられていた。

 ただ、私はその顧問の先生が大嫌いだった。
 いつも近寄るなという独特の雰囲気を漂わせていた。
 
 バレー部が強いというだけでその先生は学校の中でも特別な存在であった。校長も彼には逆らえない雰囲気があった。

 

 ある時、練習を見た。体育館の壁際に彼専用のソファがあった。そこにまるで王様のように座っている先生がいた。体育館にソファというだけで異質なのに、そこに座って彼はコーヒーを飲み、タバコを吸っていた。それも体育館の中でである。




2 コメント

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バレーボール監督伝説 (あやか)
2017-10-12 09:41:39
そうですね。。。。
そういう監督さんも、おられるかも知れませんね。
ちなみに、これは、年輩者のかたからお聞きした話しなんですけど。。。。。。。

☆昔、昭和39年、東京オリンピックで女子バレーボールが優勝金メダルを勝ちとったんですが、そのバレーボール監督さんが、めちゃくちゃ厳しくて、しかも態度のデカい人だったらしいです。
確か、『鬼監督』の仇名で有名なD先生というかたです。
その鬼監督先生は、訓練中絶えず罵声を飛ばし、生理中の女子選手にわざとボールをぶっつけて、『たるんでるぞお!根性たたきなおしてやる!!!』と怒鳴るというありさまだったらしいです。
しかも当時、その監督さんのやり方を批判する人は、ほとんどいなかったらしいです。
マスコミも、この鬼監督先生のことを、ちやほやしてたらしいですね。
『さすがは、鬼監督だ。!それぐらいのことは、やらなくっちゃいかん。!今どきの若いもんは、思いっきり、しごいた方がいい!』。。。それが、巷の声でした。
この、鬼監督D先生は、『根性』という言葉が好きで、それを当時の流行語としてはやらしていました。。
もとより、根性という言葉は本来はあまり芳しい意味ではありませんが、この鬼監督先生は、それを克己心、負けず嫌い、努力忍耐力。、、、と言う意味に転化・昇華して使っておられたようですね。
それ以来、スポーツ根性主義が、流行った時期があったそうです。

☆ところで、私は、この鬼監督D先生のやり方が良いか悪いかは、判断できません。それに、今の価値観で昔の人を批判することは、慎むべきでしょう
私は、この、鬼監督先生は、それなりのスポーツ哲学と強い御信念があったことは、お認めしますが、、やはり違和感は禁じえません。
第一、いまは、こういう鬼監督さんみたいなタイプの人は、すくないです。。。。。もちろん、皆無ではありませんが。。。。。。
いまは、監督さんも、選手も、明るく楽しく、それぞれの個性を尊重しながら、適当にリラックスしてスポーツを愛好していますよ。。。それでいいんじゃないかとおもいます。

この虚構様の、、お話楽しみです。
でも、バレーボールの話題をお聞きして、ふと、こんなことも感じました。
あやかさんへ (虚構の世界)
2017-10-12 17:29:01
 あやかさんの鋭い視点と豊富な知識すごいですね。
50歳ぐらいの人の中学・高校時代の部活というと、まだ体罰が当たり前の時代でした。バレー部は特にすごかった記憶があります。アニメアタックNo1の雰囲気で「苦しくたってー」の世界でした。

 当時はそれが当たり前だし、スクールウォーズとかの全盛で根性主義が王道の時代でした。

 今はと言うとあやかさんの言う通りです。個性を尊重しながら指導する時代だと思います。もちろんハードな練習も必要ですが、理不尽なしごき等は受け入れられない時代です。

 それにしてもあやかさんの引き出しの多さと鋭い視点にいつも学ばせていただいております。今後ともよろしくお願いします。

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