先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

1886年5月1日のアメリカ【シカゴのメーデー】

2010年03月29日 22時16分26秒 | 先輩たちのたたかい

5月1日のメーデーが近づいています。
1886年5月1日のアメリカ【シカゴのメーデー】についてまとめてみました。

アメリカ労働運動
1827年 15の労働組合結成
1869年 <労働組合 労働騎士団>結成 70万組合員 6千支部 
・組合員資格 一人でも、誰でも入れる。 職種、正社員、臨時問わない(バクチうち、酒販売者はだめ)。 ガス・繊維・鉄鋼・鉄道・鉱山・染物・靴・仕立てなどの組合員で構成。
・労働騎士団の要求
    ①労働時間 「10時間制」に・・・・・・・当時は14時間、15時間労働が当たり前
    ②児童労働の中止・・・・・・・7歳・8歳の児童も過酷な労働についていた
    ③賃金の値上げ
    ④労働災害補償を行え
    ⑤借金による投獄を禁止せよ
    ⑥役人の直接選挙実現
・労働騎士団のスローガン 「ひとりが傷つけられることは、全ての人の問題」
・労働騎士団の組織  互助組織、教育学校 
・労働騎士団の闘争 ストライキやボイコットで闘う(80年代の争議は年平均1190件、年平均53万人の組合員がストライキに参加)

1886年 5月1日
シカゴ35万人、1万5千の企業の労働者が「8時間労働制」を要求してストライキへ突入。2年前から準備。(8時間タバコ、8時間靴、8時間の歌、ビラやポスター、集会や学習会)。全国でも156万人参加。

<闘争> 拠点会社の前で集会やデモ、ピケスト。工場前のスト破りとの攻防戦。 会社側の私兵・暴力団のピストル、棍棒、ライフル銃のスト破りとの壮絶な闘い。

<勝利> この日の闘いで18万8千人の労働者が8時間労働制をそれぞれの資本家や企業主に約束させる。その他20万人労働者は労働時間短縮を勝ち取る。

<敵の巻き返し> 州知事が「戒厳令」。5月3日武装警官が襲撃。発砲。4名の労働者殺される。8名の労働組合リーダーを逮捕。5月4日全国で抗議集会。
裁判で8名のリーダーに「死刑判決」(ほどなく4名は絞首刑に。1名は獄死。3名はのち無実として釈放)。 騎士団のリーダーは動揺して裏切り・脱退・脱落。リーダーに失望した組合員は【労働総同盟】を結成・結集。

<再び決起!>
1888年アメリカ総同盟 「再び決起!」を決議。
1890年5月1日全世界で第一回国際メーデー。スローガン【万国の労働者団結せよ!】
アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・・・・・「8時間労働制」要求して世界の幾百万の労働者が一斉にストライキ決起(日本では1920年第一回メーデー上野公園で5000名、15労組)。

1917年 ロシア革命で始めて8時間労働制生まれる。ドイツ1918年。フランス1919年。イタリア1923年実現。
日本は戦後の1947年(昭和22年)の新労働基準法でようやく成立。

[感想]
わたしたちの日頃の闘いの根拠のひとつに【8時間労働制】があります。
1886年の35万人のシカゴの先輩労働者、その後延々と続いた世界の労働者の血みどろの闘い、その結果闘いとった【8時間労働制】があるからこそ今の私たちに闘いの根拠の一つが与えられています。しかしこの根拠は、形だけでは全くの無力です。法律が幾らあっても企業の中では実際は機能しません。
今、日本には120年前のアメリカ以下の会社もたくさんあります。
今でも15時間・16時間労働の長時間労働についての相談も多く寄せられています。だから過労死が続き、未払い残業代が500万円などというバカなことも起きているのです。残念なことですが今の日本の労働者の団結と自覚が120年前のアメリカ労働者より力がない、団結していないことを示しています。

【8時間労働制】は国家が恵んでくれたものでは決してありません。
【8時間労働制】は経営者・資本家が作ってくれたものでもありません。
【8時間労働制】は先輩労働者が血と涙で闘いとったものです。

メーデーに行こう!街にでよう!


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