
上・日農・全日合同大会 全国農民組合新潟県聯合会(1928.8.18)
1928年の農民運動(読書メモ)
参照・日本労働年鑑第10集/1929年版(大原社研編)
全国農民組合(全農)の結成
1928年3月の3.15事件で労農党系の日本農民組合(日農)の有力な指導者、活動家はことごとく捕らえられた。香川県のような潰された日農県連もあった。5月27日、日本農民組合と中間派の全日本農民組合は合同して全国農民組合(全農)を結成した。委員長は杉山元治郎が選ばれた。この左翼合同統一は、政府の3.15事件などを利用した地主が「土地取り上げ」など大巻き返し攻勢に出る中で、今こそ農民運動の統一なくして地主の攻撃に勝てないという圧倒的多くの農民の声によって実現したのだ。合同の波は各地方、各県へと広がり、続々と地方の合同大会が開かれた(↑ポスター)。セクト(党派)主義を排し、できるだけ多くの農民が参加できるように全国農民組合は政党支持自由を原則とした。また、弾圧を避けるため合法主義を強調した。この農民組合の組織合同の実現は、そのまま労働運動戦線統一運動にも多大な影響を与えた。
1928年の全国の小作争議件数は1,866件、参加農民数は75,136人。
(農家戸数)
自作農3割1分、小作農家2割7分、小作及び自作農家4割2分。
(小作農民の要求)
小作料の一時減額(63%)
小作契約の継続(12.4%)
小作料永久減額(7.6%)
(農民の争議戦術)
個人闘争から大衆的、団体的闘いが増えた。即ち、小作農民は農民組合(小作人組合)を組織し、または全国的農民組合に加盟し、その支部を設立し統制のもとで一致団結し、様々な大衆的手段で地主と対峙した。
戦術としては、小作料不納同盟、もしくは共同保管として持久戦の態勢を整えた。またすかさず大衆動員をしての示威運動、農民組合の発会式、演説会、共同耕作など大衆路線で闘った。また児童の同盟休校や消防組合員の辞任などで世論や社会に訴えた。地主の訴訟には大衆運動を起しながら、組合の顧問弁護士に委任して法廷闘争を闘った。
(地主側)
地主側も地主組合を組織し小作人組合と対抗した。地主同士の共同利益のために互いに結束した。農民側の小作料不納同盟に対しては、弁護士を雇い裁判所に仮差し押さえを申請した。また、小作契約解除を通告し、土地返還と土地立ち入り禁止の仮り処分を行い官憲を使う強制的手段もいとわなかった。
また関西地方では、地主は共同して耕地を提供して新たに土地会社を作り小作人との折衝を委託するなど、この土地会社は全国で60余にも及んでいる。
(民事訴訟)
1928年度に、ほとんど地主側が起こした民事訴訟は、小作料請求が1,819件、土地返還要求が555件など2,488件あった。
(強制執行)
1928年1月から9月の強制執行は、土地立ち入り禁止が129件、土地差し押さえが175件、立毛差し押さえが29件あった。裁判所と官憲警官隊を動員しての、この強制執行手段に対しては農民側はあらゆる手段で阻止すべく奮闘し、度々流血の騒擾事件として世間を騒がした。反対演説会や請願運動、示威行動で抵抗した。
(農民争議の結末)
1928年
妥結 676件(55.68%)
要求貫徹 21件(1.73%)
未解決 508件(41.85%)
以上