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先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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東京 第9回メーデー —1928年の労働運動(読書メモ)

2025年04月07日 08時00分00秒 | 1928年の労働運動

東京 第9回メーデー —1928年の労働運動(読書メモ)
参照・協調会史料
  ・労働年鑑第10集/1929年版(大原社研編)  

第9回東京メーデー
宣言
我等は茲に第九回メーデーを挙行するに際し、全労働大衆の決意を代表し左の如く宣言する。
今や支配階級はそれ自体の内部的矛盾によるあらゆる行き詰まりを打開せんと支配的機構を総動員して無産階級解放運動の上に現しつつある。
見よ!言論・出版・結社の抑圧と反動的諸勢力の抬頭と経済的混乱は其の底止する処を知らず、滔々として流出する失業者の大群は働かんと欲して働き得ず窮乏の底に転落しつつあり。百千の社会政策的施設も労働法も一時的弥縫に過ぎずして、之が根本的解決は殆ど不可能の情態である。
斯くの如き全無産大衆の窮乏に対して支配階級の重圧は独りこの国に止まらず、資本主義的列国は其の支配と搾取の為に国際的抑圧を加えつつあり。
見よ!ファシスト専制下に苦しめる伊太利を、露骨なる英米の帝国主義的侵略を、更に隣邦中華に対する列強の経済的政治的支配権の争奪、斯くして世界的平和は将に破しせんとしつつあり。この秋に際し、我等は全世界の労働者と共に、之が全人類解放の指標を掲げ、我等の威力を示すべきメーデーを迎えた。この日を期して、我等は我等の主義主張と要求を掲げて資本家と支配階級に対し勇敢なる示威を敢行し、我等の正しい無産階級団結の威力の前に一切の不正、一切の不合理を徹底的に糾弾し、戦慄せしめよ。
我等のメーデーは国際的示威の日だ
我等の威力を全支配階級に示せ
右 宣言す
一九二八年五月一日
関東労働組合会議

決議(スローガン)⁂
一、八時間労働制と最低賃金の確立
二、失業反対
三、耕作権・団結権・罷業権の確立
四、暴圧諸法令の撤廃
五、言論・集会・結社・出版の自由
六、全国総連合の促進
七、婦人・少年工深夜業即時撤廃
八、自由労働者の傷害保障並びに交通労働者の保護法の制定
右決議す
一九二八年五月一日
関東労働組合会議

3.15事件弾圧直後の5月1日第9回メーデー。協調会史料によると事前の準備として開催された「第9回メーデー協議会」でメーデースローガンとして提起された「一、全世界の無産階級解放運動の犠牲者即時釈放」「九、植民地の解放」「十、帝国主義戦争反対」「十三、朝鮮労働者への暴圧反対」など明らかに3.15事件弾圧犠牲者の即時釈放要求や中国山東出兵侵略反対、朝鮮人民との連帯などがしっかり挙げられている(協調会史料「第9回メーデー協議会開催ニ関スル件1928年4月17日」)。これらが当日の会場スローガンには見当たらないのは、官憲の圧力介入と右派によって削除されたのでしょうか(これらスローガンは労働年鑑第10集には入っている)。

「弁士中止命令」が連発された会場発言
遠藤進一
「諸君の無産大衆の暴圧と抑圧を解放すべき、この意義あるメーデーの壇上に於いてブルジョワジー階級の克服せしめる吾々の好機会である。支配階級の前面より投げつける爆裂弾・・」(弁士中止!)

鈴木孫平
「満場の諸君、今日は吾々の日だ。吾々がここに集まってこの横暴極まる資本家につい突かる日だ。見よ五月の空に翻る赤旗は吾々の血潮に染まっている。吾々は街頭に出て声の限り張り裂けるまで歌え・・(弁士中止!)

朴均
「今日は支配階級と吾々無産階級との力の比較の日である。吾々朝鮮民族は自由がない。又メーデーも許されていない。そのことは諸君の責任である。今や世界帝国主義戦争が起こらんとしている。この戦争を俺達の闘争によってブチ壊さなければならぬ、また・・(弁士中止!)

日本総同盟 岡村アヤ
「私達労働者にとって最も喜ばしい日だ。吾々紡績の女工は現在悲惨の生活を続けている。今日のメーデーの力によって夜業を廃止せなければならぬ」
等々

メーデー各労組のビラ(みだしのみ)
「メーデーは来た(東京市電自治会現実同盟)
「メーデー来る 我等労働者の威力を示せ! メーデーを意義あらしめよ!」(主催 関東労働組合会議)
「全員結束してメーデーに備えよ!」(新党準備会東京府支部聯合会組織準備会)
「メーデー!大示威だ!五月一日―この日―」(日本労働組合同盟—東京地方聯合会、日本紡織労働組合、関東合同労働組合、金属産業労働組合、関東革技工組合、北部労働組合)
「暴圧の嵐の中を高く進め!・・・」(新党組織東京支部)
「行け行け労働者は芝公園へ」(日本労働総同盟東京聯合会)
「芝公園へ 潮の如く! !!」(日本労働総同盟東京聯合会)
「職場より街頭へ!メーデーを意義あらしめよ 五月一日を吾等の日たらしめよ」(関東組合会議)
「メーデー!!戦いの日だ!!」(芝浦労働組合製罐分区)
「五月一日 ! !!メーデーは廻りて来た」(在日本朝鮮労働総同盟東京朝鮮労働組合西部支部)
「五月一日 ! !!メーデー 吾々労働者の強き拳と湧く血を以て、敵の暴虐なる資本家奴等に肉迫しよう」(在日本朝鮮労働総同盟東京朝鮮労働組合西部支部)
「メーデーは明日だ 五月一日労働祭を祝せ」(関東電気労働組合芝浦工場分会)
「メーデーだ !!」(芝浦労働組合変圧器分区)
「五月一日午前十時 メーデーだ ! 芝公園に集まれ! 」(関東電気労働組合)
「戦闘的関東木材労働組合員は一人残らずメーデーに参加せよ」(関東木材労働組合常任執行委員会)
「メーデーに総動員せよ!!自治会旗の下に集まれ!!」(市電自治会本部)
「労働祭に参加せよ  メーデー来る!!」(日本労働組合総聯合会)
「メーデー参加の自由を戦いとれ 五月一日は俺達の日だ」(新聯合組織準備委員会 旧評議会)
「見よ! 狂跳する田中反動政府の断末魔的暴圧を」(朝鮮労働組合闘争ニュース)
「俺達全労働者階級の威力を示せ!」(市電自治会巣鴨支部)
「戦闘的全組合員に檄す」(東京合同労働組合)
「万国の労働者団結せよ! メーデー示威行動に参加せよ」(労働組合統一同盟)
「全組合員諸君 メーデーが近づいた 用意はいいか!」(関東出版労働組合)

第九回メーデー
場所 芝公園山内広場
デモ 御成門ー日比谷ー大手町ー呉服橋ー日本橋ー茅場町ー永代橋ー門前仲町ー商船学校広場
デモ解散地 京橋区越中島商船学校側広場

参加組合    31
参加者 7,402名
組合旗     355本

弾圧
 ・検束者74名。会場入口で宣伝ビラを撒いた者、会場内で禁止された歌(革命歌)を高唱した者、その他煽動的言動をした者44名、デモ途中で30名の計74名が検束。

・旧評議会系労組は、表向きはメーデー参加を許されていたが、メーデー当日官憲は大阪や神戸などで「会場入り口で組合員證を求めたり」「組合旗への制限」の取締を厳格に行い、事実上参加させない弾圧を行ってきた。

・会場演説発言74名中臨監警察官からの「弁士中止命令」が14名もいる。
・労働組合員以外は参加禁止
・「主義者」は会場入口で検束

参加団体と参加者数
東京市電自治会現実同盟 620名(女性9名)
東京乗合自動車現業員会 128名(女性4名)
東電従業員組合       192名
日本労働組合同盟      922名(女性79名)
全国労働組合自由聯合会   316名
朝鮮東興労働組合        72名
芝浦労働組合          60名
東京市従業員組合      156名
東京市電協同会       32名
東京市電自治会     496名(女性50名)
全日本鉄道従業員組合    8名
日本労働組合総聯合    1022名(女性17名)
東京一般労働者組合     7名
自由労働者自治会                 72名 
東京自由労働者組合      152名
関東自由労働者組合      140名
自由労働同盟              24名
東京官業労働組合       12名
蒲田労友会           206名
関東電気労働組合     233名(女性1名)
日本労働総同盟       1016名(女性42名) 
関東金属労働組合       164名
関東木材労働組合         44名
出版労働組合          180名(女性23名)
東京合同労働組合        176名(女性20名)
在日本朝鮮労働総同盟      832名(女性18名)
関東聯合労働組合同盟        63名    
東京椅子技工組合        16名
関東一般労働組合        62名
東京電燈従業員工友会         52名
合計             31団体     7402名(女性263名)

*昨年比
1927年第8回メーデーは、25団体 8217名(女性329名)。前年比815名マイナスは、当日の弾圧と3.15事件で評議会系の中心幹部の検挙や4.10評議会解散命令があり、この年の評議会系は546名(前年1058名)と減少した。

(参考資料)
ストライキ数と小作争議数
         スト件数 参加数        組合加入者数   小作争議  参加数
1927年   383件 46,672人   309,493人    2,053件  91,336人  
1928年   393件 43,337人   308,900人    1,866件  75,136人  
1929年   571件 77,281人   330,986人    2,434件  81,998人 
1930年   901件 79,824人   354,312人    2,478件  58,565人
1931年   984件 63,305人   368,975人    3,419件  81,135人
1932年   870件 53,338人   377,625人    3,414件  61,499人
1933年   598件 46,787人   384,613人    4,000件  48,075人
1934年   623件 49,478人   387,964人    5,828件  121,031人
1935年   584件 37,650人   408,662人            6,824件  113,164人
1936年   546件 30,857人   420,589人    6,804件     77,187人   
1937年   628件 123,730人      359,290人    6,170件   63,246人

以上


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