1975年ろう城闘争・写真左激励する東部労組足立実委員長
スライド写真・キリスト教会ろう城闘争 ---1975年大久保製壜闘争----
1975年とは
4月30日、南ベトナム戦争、解放軍サイゴンに無血入城。臨時革命政府樹立。
5月7日~9日、国労・私鉄・動労交通ゼネスト。
7月7日、アルゼンチン48時間ゼネスト
11月26日~12月3日、公労協8日間のスト権スト。国労・動労・全逓・全電通。大量処分と202億損賠訴訟。
12月11日、全港湾72時間ゼネスト。12月15日~コンテナふ頭無期限封鎖、年金制度協定の締結。
大久保製壜闘争キリスト教会ろう城闘争
1975年
6月 御用組合会議での発言がもとで長崎ら3名解雇。東部労組に相談。本部方針「仲間の中へ」で障害者の自宅訪問オルグ。3日目(4日目の朝)、検査課障害労働者30名の無言の抗議座り込み。3名解雇撤回。
11月30日36名が職制の暴力をきっかけで決起。工場座りこみ、日本基督教団堀切教会(斉藤宏牧師)に籠城してのたたかい。大久保製壜検査課労働組合結成。東部労組、キリスト者、地域の労組員、障害者団体等々200名が総力支援。12月8日全面勝利。職場復帰。
憎さ100倍となった大久保製壜は職場復帰した36名に襲いかかり、その為その後21年9ヵ月の大久保製壜闘争が繰り広げられた。
東部労組大久保製壜支部は、一時はわずか8名に切り崩されたが、歯を食いしばりながら、また全国の支援もあり、職場で徐々に組合員を増やし1987年には、御用組合の青年労働者22名が立ち上がり、東部労組大久保製壜支部と団結した。
会社は暴力団員を雇い「覚醒剤謀略犯罪(長崎副委員長のオートバイに本物の覚せい剤を仕込ませ、警察に長崎を逮捕させた)」を起こした。すぐに真実が明らかになり、長崎は釈放され社長らは逮捕されたが、一向に反省しようとせず、結局1997年8月18日、実に21年9ヵ月間の大久保製壜闘争の全面解決が実現した。