写真は1987年 大久保闘争、新労組報告集会の沢村さん
沢村鉄雄さんが亡くなった時の私のコメントです。
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全国一般東京東部労組沢村鉄雄前委員長が2008年9月1日に亡くなりました。享年74歳でした。 わずか3日前の8月29日には、大久保製壜の杉田さんたち4名の退職慰労会に出席して懐かしいみなと会ったばかりでした。
34年前、学生出身の僕たちが出会った<闘う労働者>でした。沢村さんとの出会いがなければ、若い僕たち3名が工場に入ることもなかっただろうし、その後の大久保製壜の教会籠城闘争、東部労組加入もなかったでしよう。
僕たちがまだ学生気分が抜けきらず、知ったふりをして、世界を、人生を、資本主義社会をおしゃべりしていた時、沢村さんはじっと黙って僕たちの埒もない話を聞いていました。
ずっと東部労組副委員長として僕らの面倒を見てくださり、1985年から5年間は東部労組委員長でした。1987年5月20日、大久保製壜の若者22名が東部労組大久保製壜支部を頼って決起し御用組合から脱退して「新労組」を結成しました。地獄の特訓で有名な富士宮研修に反対して立ち上がったのです。翌日からストライキ突入、支部・新労組合同による会社との団体交渉・・・・等々と闘いの日々が続きました。11月6日夕刻、暴力団を雇った会社は、僕のオートバイのシートの下に本物の覚せい剤を仕込ませ僕を警察に逮捕させ一気に闘いを潰そうとしてきます。この事件は、<労組幹部覚せい剤事件でっちあげ>としてテレビや新聞などのマスコミでも大きく取り上げられました。のちに真相が明らかになり社長らは逮捕されますが、11月6日夜の段階では、東部労組執行委員会もわけがわかりません。しかし、自宅の家宅捜査を受けた家族からの連絡があるや沢村委員長はただちに本部執行委員に夜中の緊急召集をかけて、自らを先頭にそのまま本田警察にかけつけ「いったいこれは何の陰謀だ。すぐに釈放せよ」と徹底的にはげしく抗議しました。
僕は3日間で無事放免されました。ほどなく社長らと実行者4名が逮捕されます。
この覚醒剤謀略犯罪は、支部と新労組の団結をかつてないほど固くさせました。地域・全国の圧倒的な支援体制も生まれました。1000名で工場包囲と路地裏デモなど完全に闘いの主導権をこちらがにぎることになります。
・・・・・沢村さんの思い出はたくさんあります。大久保支部が受けた恩ははかりしれません。
沢村さん! 今、僕たちは、あらためて「受けた支援は運動で返そう」と決意しています。 ありがとうございました。
2008年9月8日