江戸時代に伊雑宮でとある事件が起きます。
当時、伊雑宮の神職であった「永野菜女」(ながのうめね)という男性と黄檗宗の高僧「潮音道海」(ちょうおんどうかい)らが、伊雑宮の書庫から「先代旧事本紀大成経」という書物を発見しました。
聖徳太子によって編纂されたとされる神道の経典「先代旧事本紀大成経」には
「伊雑宮こそが、真に天照大御神が鎮座する社であり、内宮は星神(瓊瓊杵尊)、外宮は月神(月読尊)が鎮座する社である」
との内容が記されていたと云います。
実は「伊勢三宮説」を唱える声は江戸時代以前からあり朝廷、幕府との因縁もあったと云われてます。
しかし、内宮・外宮の神職がこの書の内容について江戸幕府に正しいのか否かを求めた結果、この書は偽物であるとされてしまったようです。
騒動はそれだけに終わらず、戸嶋惣兵衛は追放、永野菜女、潮音道海他、これに関わった伊雑宮の神官らも全員流罪となりました。
それに留まらず、1625年には伊雑宮の神人・役人が幕府に直訴して、数10人が流罪になり、1663年には将軍家綱に直訴、40人が国外追放になっています。
そして1679年に『大成経』が出版され、当の事態に至ります。また1682年に伊勢三宮説の中心人物だった「中村兵太夫」が毒殺されたと云うことです。
それを江戸の書店の店主「戸嶋惣兵衛」(とじまそうべい)が編集し出版したところ、その内容に江戸中が騒然となりました。
この話を聞きつけた当時の伊勢神宮の神官は、すぐに幕府へ申し入れ、幕府はこの書物を「真っ赤な偽物である」と公言し、先代旧事本紀大成経の内容を記した書は偽書・禁書とされました。
伊雑宮には、悲しみの歴史があるのですね。。。
朝廷も幕府もそこまでしなくても良かったのにと思います。
神様や神社の事で、人間が争うのを、神様は望んで無いだろうし、真実は真実としてただ在ると思います。
時代背景もあったのかもしれませんが、知られては困る事は、力でもって隠蔽するという、超ピラミッド型の社会だったんでしょうね。
こういう情報もネットで簡単に得られる今の時代に、こんな事件は起こり得ないから、時代は少しずつ良くなっていると信じてます。
時間差はあり、綱引きはあるものの、真実を隠し通すことは出来ないし、また正邪はあからさまになる時代に変わっている気がしてます。
真実を見抜く目を養いたいと思います。
「先代旧事本紀大成経」の編纂者である聖徳太子は大霊覚者であるが故、時代がその霊格に追いついてなくて、非常に悲しい生涯を終えられたと想像します。
さて、伊雑宮へのお詣りです。
こちらが巾着楠。
ふんわりと苔に包まれた優しい御神木が聳えています。
鳥居をくぐると厳かな氣が包んでくれます。
母と姉と私でお詣りです。
正殿は内宮・外宮と同じ「唯一神明造り」で南向きに建てられています。
この唯一神明造り、日本で最も尊い宮とされる伊勢の内宮・外宮と他の神社と一線を画す意味合いで、敢えて「唯一」が付されているということです。
こういう点から考えても、やはり伊雑宮は格別かもしれないと思ってます。
本物はひっそりとしていて、奥ゆかしく、素朴だと思っていますから。
また、伊雑宮の境内に、「勾玉池」があり、こちらも、往古よりその姿のままあると伝えられています。
感覚的なことなのですが、思いがけず訪れて感動する神社もあり、期待して訪れたのに、そうでも無くお詣りを終えることもあります。
そこで感じる崇高な氣は、建物が煌びやかだから感動するわけでは無いのです。
だから、人間には到底及ばない神様のことで、争ったりするのは違う気がしてます。
神様は全てを超越した存在だと私は信じています。
自らの心を、伊勢で整えながら、自我を無くし、空になり神に委ねてみたいと思いました。
森羅万象を生み出した唯一絶対神に心を委ねていくことが、未熟な私には必要なのかもしれません。。