天照皇大神は、「三種の神器」と「三大神勅」を天降る孫の瓊瓊杵尊に授けました。
瓊瓊杵尊は、そのご神勅に従い「三種の神器」の一つ「八咫鏡」を皇大神のご神体として祀り、それ以降、崇神天皇の御代まで宮中にてお祀りしてきました。
しかし、崇神天皇の6年、「皇大神の勢いを畏りて、ともに住みたまふに安からず」とされ、宮殿の外の倭笠縫邑(現奈良県桜井市三輪)に遷され、その地に33年間お祀りされたのですが、その後、永遠にお祀りする聖地を求める旅に出られることになったのです。
伝承によれば、第10代崇神天皇39年(西暦紀元前59年)に、「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、それまでお祀りされていた倭笠縫邑(現奈良県桜井市三輪)をお出になったといわれます。
まず最初に但波(丹波)へお遷りなり、そのご由緒によりこの元伊勢内宮が創建されたと伝えられています。
皇大神は、福知山のこの地に4年お祀りされた後、さらに諸所を経て、垂仁天皇26年(西暦紀元前4年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地(今の伊勢神宮)にお鎮まりになりました。
こうしたことから伊勢神宮内宮の元の宮として、「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」「大神宮さん」などと呼ばれ、今も庶民の篤い信仰が続いています。
元伊勢HPより
御祭神は天照皇大神。
高天原の神々の中の最高神であり太陽の神であります。
正面鳥居は、樹皮のついた丸太のままの木で造る最も素朴で原初的な様式の鳥居で、全国的にも珍しく、この鳥居は「黒木の鳥居」と云われます。
杉で造られているようです。
左殿(向かって右)は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
天照皇大神が天の岩屋にお隠れになった時、戸を開いて皇大神を連れ出した大力の神。技芸上達、スポーツ向上などの神様とされます。
右殿(向かって左)は栲機千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)
天照大御神の子神にあたる天忍穂耳神様の奥様にあたり瓊瓊杵尊(天照皇大神の孫)の母神様であります。織物の神様として信仰される他、安産、子宝などの神徳をもつとされます。
こちらは龍灯の杉と云われる樹齢2千年と伝えられる御神木です。
この巨木の梢に節分の夜、丑三つ時になると龍王が龍宮から天照皇大神に神灯を捧げるという神秘な伝説があります。
その灯は、下枝から次第に上枝へと昇ってやがて天に至ると伝えられています。
この杉に隣接して龍神の磐座がお祀りされています。
こちらは岩長姫命をお祀りしています。
岩長姫命にこっちにおいでよと云われている感じがしました。
凛とした空氣の中にひっそりと佇み、美しいと思いました。
娘が手を合わせます。
岩長姫命をお祀りしているところから横をみると、何だか光ってました。
またまた、こちらにもおいでと呼ばれている感じがします。
神社でよく目にするこの光が本当に好きです。
天龍八岐龍神社とあります。
八岐大龍神(やちまたのだいりゅうじん)がお祀りされていました。
何て美しいところなのでしょう🤩
感無量になり手を合わせて、お詣り出来てとても嬉しいですと感謝の祈りを捧げました。
元伊勢内宮は、80余の小宮が、ご本殿を中心に、前後左右を囲んでいます。
こちらの写真はHPよりお借りしました。
皇大神ゆかりの摂社の他、全国一宮など有験の社を集め、八方詣(八方除参り、八方開き参りともいう)などの信仰があり、現在でも節分や年末年始など多くの方が八方詣をされているようです。
下の写真は三女神社です。
宗像三女神の田心姫神(タゴリヒメ)、湍津姫神(タギツヒメ)、市杵島姫神(イチキシマヒメ)の3女神様がお祀りされています。
宗像三女神の田心姫神(タゴリヒメ)、湍津姫神(タギツヒメ)、市杵島姫神(イチキシマヒメ)の3女神様がお祀りされています。
写真はありませんが熊野神社もありました。
私は、人の少ない静かな、それでいてエネルギーに溢れる神社が好きです。
大自然の織りなす景観、その中で千年を超えて人々を見守る御神木、素朴な神社、神様を護る龍神様がお鎮まりになっている美しい池、全て全て美しいです。
元伊勢内宮皇大神社にお詣りできて本当に良かったです。
まだまだ続きます。