警察の防犯課が、生活安全課という訳の分からない名称に変わってから40年も経つだろうか。防犯ということは、文字通り、犯罪を防ぐという意味であり、警察の設置目的にも合致する名称であったように思うが、生活安全課というのは、未だに、何か、市町村役場にもあるような課の名称に思えてならない。しかし、反面、昔の警察は、本来の犯罪を防ぎ地域の治安を維持するというよりも、事件が起こってから検挙するというのが、幹部が成績評価する場合の基準となっていて、検挙率が署の成績を評価する材料になっていたようだ。ところが、現在の警察は、DVやストーカー、児童虐待、高齢者虐待などにも取組むようになってきて、昔の警察が「民事不介入」を口実に何もしようとしなかったのに比べると、25年前にあった桶川ストーカー殺人事件などの反省も踏まえて、法改正もあり、積極的に犯罪の未然防止に取り組むようになってきたと思っていたが、どうやら、最近は、再び、昔に戻ったかのような事件が報道されている。
川崎ストーカー女性遺体遺棄事件とでも呼ぶべきなのか、飲食店アルバイトをしていた20歳の女性の白骨化した遺体が、元交際相手の家の床下から見つかった事件である。
被害者は昨年6月から、容疑者とケンカになったり、付きまとわれるなどの被害を川崎臨港署に訴え、9月には被害届も提出したが、その後取り下げていたとのこと。岡崎さんの弟は、岡崎さんが白井容疑者から脅されて被害届を取り下げたと訴えていて、その後も被害者は、身を隠していた祖母の家周辺を白井容疑者がうろついていることなどを警察に伝えて対応を求めていて、昨年12月20日に被害者が行方不明になり、その後、警察は容疑者を7回、任意聴取していたが、今回の警察側の会見では、「ストーカー被害の相談を受けていた認識はない」と見解を示しているそうだ。また、容疑者の自宅も3回、任意で捜査したが、床下の捜索には至らなかったとのこと。
テレビのワイドショーに良く出ている元警察関係者からは、『警察側の対応が杜撰で、対応が後手後手に回っている。』『被害者が事件化の意志を示さなくても、事案の進展を予測して、警察から積極的に被害者の説得をすべきではなかったのか。』との声も聞こえてきたが、2000年頃に警察批判が高まったときに、警察庁や各都道府県警察を挙げて、警察改革が叫ばれ、国民の為の警察を目指すと言っていた頃は、既に、一昔前になってしまい、世代交代の結果、その精神は形骸化しているということなんだろうか。そもそも、神奈川県警察本部のストーカー対策の担当課には、昨年来の、この事案に対する端緒報告は上がっていて、本部担当課が署に対して適切な指導をしていたのだろうか。また、警察署長は、一連の事案発生時に、生活安全課や刑事課の対応を了解していたのだろうか。疑問が尽きない。
151年前に日本の警察制度を作った川路大警視は、著書の「警察主眼」の中に、《声なきに聞き形なきに見る》 という言葉を残している。一人ひとりの警察職員が、この言葉を改めて噛みしめてみる必要があるように思えてならない。