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conscience

my diary

防犯という概念の必要性(繰り返されるストーカー殺人事件)

2025年05月06日 | 日記
 警察の防犯課が、生活安全課という訳の分からない名称に変わってから40年も経つだろうか。防犯ということは、文字通り、犯罪を防ぐという意味であり、警察の設置目的にも合致する名称であったように思うが、生活安全課というのは、未だに、何か、市町村役場にもあるような課の名称に思えてならない。しかし、反面、昔の警察は、本来の犯罪を防ぎ地域の治安を維持するというよりも、事件が起こってから検挙するというのが、幹部が成績評価する場合の基準となっていて、検挙率が署の成績を評価する材料になっていたようだ。ところが、現在の警察は、DVやストーカー、児童虐待、高齢者虐待などにも取組むようになってきて、昔の警察が「民事不介入」を口実に何もしようとしなかったのに比べると、25年前にあった桶川ストーカー殺人事件などの反省も踏まえて、法改正もあり、積極的に犯罪の未然防止に取り組むようになってきたと思っていたが、どうやら、最近は、再び、昔に戻ったかのような事件が報道されている。
 川崎ストーカー女性遺体遺棄事件とでも呼ぶべきなのか、飲食店アルバイトをしていた20歳の女性の白骨化した遺体が、元交際相手の家の床下から見つかった事件である。
 被害者は昨年6月から、容疑者とケンカになったり、付きまとわれるなどの被害を川崎臨港署に訴え、9月には被害届も提出したが、その後取り下げていたとのこと。岡崎さんの弟は、岡崎さんが白井容疑者から脅されて被害届を取り下げたと訴えていて、その後も被害者は、身を隠していた祖母の家周辺を白井容疑者がうろついていることなどを警察に伝えて対応を求めていて、昨年12月20日に被害者が行方不明になり、その後、警察は容疑者を7回、任意聴取していたが、今回の警察側の会見では、「ストーカー被害の相談を受けていた認識はない」と見解を示しているそうだ。また、容疑者の自宅も3回、任意で捜査したが、床下の捜索には至らなかったとのこと。
 テレビのワイドショーに良く出ている元警察関係者からは、『警察側の対応が杜撰で、対応が後手後手に回っている。』『被害者が事件化の意志を示さなくても、事案の進展を予測して、警察から積極的に被害者の説得をすべきではなかったのか。』との声も聞こえてきたが、2000年頃に警察批判が高まったときに、警察庁や各都道府県警察を挙げて、警察改革が叫ばれ、国民の為の警察を目指すと言っていた頃は、既に、一昔前になってしまい、世代交代の結果、その精神は形骸化しているということなんだろうか。そもそも、神奈川県警察本部のストーカー対策の担当課には、昨年来の、この事案に対する端緒報告は上がっていて、本部担当課が署に対して適切な指導をしていたのだろうか。また、警察署長は、一連の事案発生時に、生活安全課や刑事課の対応を了解していたのだろうか。疑問が尽きない。
 151年前に日本の警察制度を作った川路大警視は、著書の「警察主眼」の中に、《声なきに聞き形なきに見る》 という言葉を残している。一人ひとりの警察職員が、この言葉を改めて噛みしめてみる必要があるように思えてならない。
 
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斯くて地方は滅びぬ。

2025年05月01日 | 日記
 去年からすると二倍にもなった米の値段は一向に下がらない。今、田植えの季節であるが、お盆ごろに新米が収穫されても、今のままでは市場に少ししか出てこない可能性もある。これは、偏に、農家から所得を収奪してきたJA農協と、誤った見通しで食料安全保障に反する減反政策を推し進めて来た農水省の官僚達、それに群がって、選挙時に集票をしてきた農林族の国会議員達のせいでもある。米価が高くなったせいで、我が家の食卓では、米の代替食として、麺類とかパン類が並ぶようになった。日本から、数千年の歴史を持つ稲作、米食の文化が消え去ろうとしているかのようでもある。兼業農家の支えられてきた農業は、従事者が軒並み高齢化し、後継者不足となっている。これに対して、様々な参入規制と小規模農地が多く、農地の集約化が困難なせいで、大規模な農業がほとんど実現できていない。日本の農業は滅ぶべくして亡びつつつある。
 電車の通っていない唯一の県であり、阿波踊りにしか魅力の無い県として有名で、毎年の魅力度ランキングで下位が多い徳島県は、ついに人口が68万人を割り込み、104年前の水準になったとのこと。104年前といえば明治時代も末期であるが、これは、単にその頃に還ったというような簡単なことではない。なにしろ、明治時代は若者の人口が多く、我が国は、産業革命や日清・日露戦争の真っただ中で、貧しくとも未来への希望に満ち溢れていた時代であった。しかし、今の徳島県は、高齢者人口が三割を超え、出生者に対する死亡者の割合は2倍を遥かに超えている。特に人口問題で問題なのは、若い女性の県外転出の動きが一向に止まろうとしないことである。地方居住の良さを言う人も稀にはいるが、何故、若い女性が地方に留まろうとはしないのだろうか。魅力的な就職先が無いとか、都会のような文化施設が少ないという問題もあるかもしれないが、其れより何より、田舎特有の生きづらさや閉塞感の問題もあるだろう。公共交通機関の便も悪く、自動車を持っていなければ生活していけないというのが地方であり、教育施設、病院なども大都市からすると水準が劣っているのは否めない。徳島県で更に人口が減ってゆくことにより問題となってくるのは、インフラの維持の問題が大きい。消滅集落が増加し、中山間地域で農業が放棄されることによって、山間部は荒れ果て、そのことによる水害なども発生するかもしれない。コンパクトシティ化で中規模の街に人口が集中するだろうが、時が過ぎてゆくにつれ、その市部ですら人口の減少傾向は止まらなくなる。そうなってくると、行政機関、学校、病院、警察なども統廃合され、人材不足もあって機能を失ってこざるを得ない。昔のような、工場誘致計画などは夢のまた夢、四国新幹線もその一つであるが、今までにも実現しない夢は未来永劫に実現不可能なのである。
 今でも、イノシシや猿が市街地に降りてきて大騒ぎになることがあるが、それが常態化するかもわからない。県自体も、明治期の一時代にそうであったように隣接県に統合される可能性もある。30年後、50年後の徳島県に何の希望があると言うのだろうか。それよりも先に、南海トラフ巨大地震が起これば、復興不可能地域と認定されるかもしれない。


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