私は、高卒の資格で就職したが、退職まで数年となってから放送大学に入学し、四年生大学の卒業証書と学位記を得た。そんな私にとって、大谷選手の通訳であった水原一平が学歴を詐称していたのではないかという記事を見て、何故、経歴を詐称する必要があったのかと疑問に思ったし、今回の小池都知事のカイロ大学の卒業経歴詐称疑惑の記事を見て、重ねて奇異な感じがしてならなかった。そもそも、水原については、通訳として曲がりなりにも務めていたことは確かだし、小池知事もエジプト語の通訳ということに疑問があるとしても、TVキャスターとしても、国会議員、都知事としても、その存在感は格別なものがあった。したがって、その是非はともかくとして、彼らには一定の能力があったのでは無いだろうか。もっとも、学歴格差社会の現代日本にあっては、通訳やキャスターになりたいと思っても、その最初の段階で学歴という大きな壁によって撥ねられることとなる。採用する側も、個人の能力を採用前に計ることが困難であるので、学歴をもって代替手段としている。それが、学歴詐称を産む原因となっているし、世間も、学歴詐称者を見つけた場合に鬼の首を取ったかのように批判する。しかし、仮に、最高学府出身者であったとしても、彼らほどの能力を発揮する者がどれほどいるだろうか。勿論、詐欺・窃盗行為を働いたかもしれない水原を擁護するつもりはないし、小池都知事の政治家としての実績が万全なものであったと言うつもりもない。むしろ、小池都知事については、野心家でパフォーマンスに走る余り、都政に弊害を与えて来た可能性があるのではとも疑っている。だが、ここで言いたいのは、学歴というものがそんなに大事なものなんだろうかということである。しかし、偏差値教育に毒され、学歴至上主義に陥っている大半の人達には、私の言いたいことは理解出来ないかもしれない。
ギリシャの遠い昔には、知識のある人の周りに、その知識を身に付けたいという人達が集まったという。
※「紀元前6世紀の古代ギリシアに出現したタレスは歴史上最初の哲学者といわれ、現在のトルコにあたる小アジアの町ミレトスに生まれました。タレスとその弟子たちは、この町の名前をとって、『ミレトス派』として知られるようになります。タレスをもっとも悩ませたのは『万物は何からできているのか』という問題でした。タレスは『万物は水が形を変えたものである』という結論を出しました。」
私は、大学で学んだことで一番良かったと思ったことは、自分が物を本当に知らないということを自覚したことと、様々な知識を得る為の方法・手段に少しでも近づけたことだとも思っている。しかし、既に齢70になってしまった現在、遅かったのではとも後悔もしている。