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conscience

my diary

何故、聖火リレーをするのか?

2021年02月25日 | 日記
 前回の東京オリンピックの聖火ランナーを見たのは56年前のことで、私が11歳、小学5年生の時であった。その時は、オリンピックというものが開催されるということで、訳が分からないながら高揚感もあり、国道沿いに並んで、そこで手渡された日の丸の小旗を振って聖火ランナーを見た記憶がある。
 しかし、コロナ禍の今、何故、聖火リレーをするのだろうか。ガース首相が拘っているgotoトラブルは、誰が何と言おうが、東京などの大都市から地方に感染を広げたことは間違いない。ワクチンなども、当初の政府首脳の言及通りには供給されない可能性も高くなって来た。感染者も、濃厚接触者などを調査しないという方針に政府が転換したので現在の感染者数の発表は信用できない。かといって、検査もそれほど拡大していない。そんな状況なのに、あくまでオリンピックの開催に拘り、仮にそれが無観客では可能であるとしても、それに加えて、前回と同様に聖火リレーをしようとするのか。ここで、何のためのオリンピックかをもう一度考えて見ても良いのではなかろうか。森氏が発言したように、「感染状況がどうあろうが、オリンピックを開催する。」ということで、スポーツエリートや、一部の人の利権の為には、国民は犠牲になって当然だということなのか。
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