少し気温が暖かくなってきた。今日は「徳島マラソン」があるようだが、70歳を超えた私には無縁のことだと思う毎日である。
ここ数日、脚と腰が少し痛くて、散歩をする気も無くなっていたが、ケーブルテレビで「いきいき百歳体操」というのを見て、騙されたつもりで二日連続でやってみたところ、今朝は少し痛みが無くなった気がして、十数年前に買っていたウォーキングタイツを履いて、脚と腰を締め付けて散歩に行ったところ、そんなに痛みを感じなくなった。百歳体操そのものは、ゆっくりとした動きが主であったが、30分もしていると薄っすらと汗ばんだ。「阿波踊り体操」も録画してあるので、次は、それに挑戦しようかと思っている。いかにも爺臭くなってきたのかもしれない。
オウム真理教の事件から30年ということで、テレビでは連日のように関連する番組があるが、高学歴者を含む信者達が、何故、そんな教義にのめり込んでしまったのだろうかと考えると、最初の入り口で、オウムがヨガ教室とかを仮装していて、しかも親切に接してくれたということがあったようだ。本来、古来のインドの修行者であった仏陀が説いたのは、生老病死などの苦を逃れる為には、自分で出家して修行し涅槃(悩みのない悟りの状態)に至ろうというものであったと言われており、決して、他人を救おうとかいうものではなかったはずで、ところが、オウムの教えは、教義の為に人を殺しても救われるという奥義を持つ何とも不可解なものになっていったようだ。
人は、他者との接触によって、自他を認識するようになるが、迷っている状態の時に、親切を装って近づいてこられたり、教祖が、修行によって何らかの超常現象を起こせるなどと吹き込まれると、それに影響されてしまったのかもしれない。宗教や共産主義思想などは、本来は、人や世の中を救う教えであったはずだが、多人数が結集する団体となってゆくと、次第に権力者とそれ周辺の者が優越的立場に就いて、その他の者は利用され、収奪される立場になってゆくのかも知れない。それにしても、オウムの企図していたことは、東京の中心部の上空からヘリでサリンを撒いて何百万人もの人を殺そうとしていたということが本当で、それが実現していたら、東京都の中心部は文字通り地獄絵図になり、何とも前代未聞の恐ろしいことだったに違いない。
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