京アニ放火殺人事件の青葉被告に死刑の判決が出た。青葉被告については、幼い時に両親が離婚し、父親に引き取られて育ったものの、虐待被害などがあったのではないかと言われており、進学した定時制高校では生徒会長をするほどであったが、その後、就職したものの人間関係がうまくいかずに挫折して経済的にも困窮して鬱屈した生活を送っていたとのこと。京アニについては、当初、京アニの作品に出合って感動したものの、京アニに応募した自らの小説が不採用となり、盗作等されたのではないかと妄想を募らせたあげく、結果として多数の人が亡くなることになった犯行を行ったとのこと。彼のことついて評論する人の中に、彼のように孤立した人間についての対策の必要性を述べる人も複数いるが、しかし、これは、言うは易く、行うは難しいものの一つでもある。例えば、何年か前に、政府はイギリスの真似をして、孤立対策の為の担当相を置いたように記憶しているが、それからどうなったのか、進展具合が全く伝わってこない。イギリスなどは、アフリカ系の移民などが多くいて、また、階級差別社会が残っている傾向もあって、その意味から孤立問題に取り組んでいるのだろう。これと比べ、ことあるごとに「絆」が強調されている我が国においては、政府や一般社会の建前とは別に、社会と馴染めない者や孤独感を抱えている者が増加する傾向にあり、青葉被告の場合などは、自死すら覚悟した破滅願望の末に行動に及んだものだろうが、例えば、そういった者に対しては、臨床心理士などが介入しても問題解決が困難であるし、そもそも、そういった人と心裡専門家やソーシャルワーカーなどの専門家との窓口が本当に開かれているのかどうかにも疑いがある。青葉被告を多量殺人の罪で死刑にすることは簡単だが、それで、我が国社会が抱えている、この種の問題の根幹が解決する訳でもないし、経済的、社会的、教育的格差が拡大しつつつある現在、むしろ、潜在的な危険性が高まりつつあるとしか言いようがない。ネット社会の発展も、むしろ、そういった傾向の後押しをしているのだろう。
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