元々、不都合なことを覆い隠すということを「ホワイトウオッシング」と言うらしいが、それから波及して、スポーツウオッシング、SDGsウオッシング、グリーンウオッシング、ピンクウオッシングという言葉まで生まれているという。
例えば、北京オリンピックは、オリンピックを利用して自国の人権問題から国際社会の注意を逸らそうとしたとも言われているが、東京オリンピックでも、オリンピックを利用した金儲けが行われていたことは、森元総理の強い推薦を受けた高橋容疑者の事件でも取りざたされている所でもある。アスリートファーストという言葉も聞いたが、それに対して東京オリンピックの裏で何が行われていたのであろうか。国費や東京都の巨額の予算を費やして、何のレガシーが残ったというのだろうか。今、防衛費や子育ての予算で増税の論議がされようとしているが、果たして東京オリンピックでの浪費はどうだったのだろうか。SDGsやグリーンウオッシングについては、例えば、東京都が打ち出した新築住戸に太陽パネル設置の義務付けが適切なものだろうか。三浦瑠麗氏の夫の疑惑も取り沙汰されているように、これらの綺麗ごとで反対の少ない問題の裏で何が行われているのだろうか。ピンクウオッシングについては、lgbtqに関係して言われているが、近年、特に降ってわいたように、この問題が取り上げられているように思えてならない。ゲイとかレズとかは、戦国・江戸時代などでも存在していたとのことだが、性同一性障害の人も一定数存在することは確かだろうし、それが差別の対象となってきたり、そういった人々の個人の幸福追求の障害でもあっただろうが、本当に、純粋な問題意識だけで、この問題が取り上げられるようになったのだろうかという疑問も少なからずあるように思えてならない。私は、何よりも、我が国における性教育の欠如が、援助交際という名の少女売春につながったり、性病のかってないほどの蔓延につながっているのではないかとの恐れを抱いている。性の自由化は結構なことだが、それが性道徳の破壊につながったり、ひいては、何らかの犠牲者の上に成り立つことのないようにして欲しいものだ。
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