おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その5。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

2024-02-11 18:37:48 | 房総東往還

内房線「和田浦駅」。

                          フェニックスの大木。

    木の元に菜の花。

待合室で休憩。

                抽象画が飾られています。

※「道の駅和田浦WA・O!」に展示されている全長26メートルのシロナガスクジラの骨格標本。

ここ南房総では、17世紀頃から小型船による沿岸捕鯨が行われてきました。 そして現在でも、6月から8月に掛けてツチ鯨の漁が行われています。
シーズンになると、捕獲された鯨とその解体を見る為、各地から多くの人々が訪れます(捕鯨の予定などは、捕鯨の会社外房捕鯨さんのブログに情報が掲載されます)。
捕鯨は早朝出航し、当日の夕方は捕獲した鯨を曳航して港に帰り(当日出航の当日帰港)、鯨はそのまま熟成させるため、一晩寝かせます。
翌日の早朝、鯨の体長などの計測したあと日の明けぬうちから解体が始まります。
解体には、大きな包丁(薙刀のよう)を持った男たちが尻尾から切り落とし、手際よく鯨肉が仕分けされ、最後には地元の人をはじめとする、鯨肉の購入者に小分けして販売されます。 昔からほとんど変わらない鯨の解体作業は、ずっと鯨に親しみ、鯨とともに歩んできた和田漁港の男たちと地元民の暮らしの一部になっているようです。

(この項「」HPより)

※農林水産大臣より許可された沿岸小型捕鯨で捕獲された鯨の鯨体処理場の設置場所は、全国で4か所

北海道の網走、宮城県の鮎川、和歌山県の太地、そして南房総に位置する和田町

房総にある捕鯨基地は、これまで館山市や千倉町、白浜町へ移動してきた後、現在の和田町へと落ち着きました。

・・・調査捕鯨時代は小型捕鯨業における捕獲対象になっていなかった。調査捕鯨時代は、日本政府はIWCにおいて、沿岸捕鯨は小規模捕鯨でアラスカなどが認められている先住民捕鯨と同じであると主張して、大型鯨類に分類されてIWCの管轄下におかれているミンククジラの沿岸商業捕鯨再開を求めたが、アメリカ合衆国オーストラリア南米の反捕鯨国から、ミンククジラの商業捕鯨は認められないとする反対をうけ、IWCでの採択で承認されなかった。また、2009年及び2010年にはIWC総会で調査捕鯨における捕獲頭数の削減或いは休止と引き換えに主に日本沿岸での商業捕鯨をIWCの管理下において認める議長案が出されたが、合意に至らなかった。

(この項「Wikipedia」より)

 時刻表。1時間に上下線とも1本。

「和田町観光マップ」。

しばらく休憩した後で、街道歩き再開。「和田浦駅」前ロータリー

内房線踏切を越えます。

                      「南一号踏切」(次の駅「南三原」の「南」)。

国道128号線を進みます。 

振り返る。「→和田浦海水浴場」。 

海岸沿いには「鹿島鳴秋・浜千鳥」碑があるようです。

鹿島鳴秋(かしまめいしゅう)

東京都深川まれ。明治24年(1891年)5月9日~昭和29年(1954年)6月7日没。本名は鹿島佐太郎。20歳の時に童話に応募して入選し、清水かつららと雑誌「少女号」を刊行する。代表作は「浜千鳥」、「金魚の昼寝」、「お山のお猿」などがある。鳴秋は和田海岸を愛し、療養中の愛娘と和田海岸を訪れていましたが療養のかいなく娘が亡くなり、浜千鳥は娘を偲んで作られたとされています。
 

浜千鳥 作詞:鹿島鳴秋 作曲:弘田龍太郎

青い月夜の 浜辺には
親を探して 鳴く鳥が
波の国から 生まれ出る
 
夜鳴く鳥の 悲しさは
親をたずねて 海こえて
月夜の国へ 消えてゆく
銀の翼の 浜千鳥

(この項「房総タウン。COM」HPより)

右手の背後には岩壁が。

                  梯子が頂上まで。

歴史があるような建物。

                        しゃれた二階のつくり。

和田浦港。

                

     

         南房総の海岸が広がる。捕鯨の時期にはたいそう賑わうそうです。

 

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JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その4。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

2024-02-09 18:32:19 | 房総東往還

往還(旧道)に戻ります。

                      右手奥に満開の桜の森。

水準点。 

すばらしい槙の生垣が続く。

「花嫁街道・黒滝ハイキングコース」案内板。

《花嫁街道の由来》

山間にある上三原の集落と海辺の集落との交流道、古くは塩汲みの道から生活物資の往来、学校への通学路として利用され、かつては花嫁行列もここを通って嫁いでいったことから、近年ハイキングコースとして整備され花嫁街道と呼ばれるようになった。
昔とは多少道筋は変わってはいるが、歴史は古く、今でも経文石、じがい水、猿渡り、馬井戸、駒返し、桟敷塚(馬駆け場)等の地名が残されている。
上三原集落も歴史は古く、頼朝伝説に出てくる名馬「スルスミ」を産出したといわれる磑(スルス)森集落、里見伝説の残る五十蔵集落、竹の中集落の竹は浜の漁業の必需品である満漁籠。魚樽の材料として売るために植栽され生活の糧となった。現在も竹林は多く地名となっている。

(「」より)

コース中にある「黒滝」。

ハイキングコース。右手の奥の方に。

「長者川」を越えると、

右手に大きなお屋敷。                  

左手には、モダンアート??

                   駐車場案内版。

「うな陣」というお店でした。

【古民家でいただく絶品料理◎】店内は昔ながらの木造の古民家で、広々とした店内でゆったりとした時間をお過ごしいただけます◎厳選した素材を生かした絶品料理をご堪能ください♪ (「」より)

???

「←花嫁街道・和田浦駅→」。

「花嫁街道」?  

住宅地を進みます。

軽トラの上で日向ぼっこをしているネコ。

手入れの行き届いた槙の生垣。

房総往還歩きの時、館山近くですばらしい「槙のつらなり」を見ましたが、ここもすばらしく見事です。

この先で内房線の踏切を渡ります。

左手遠くには南房総の海。

「和一号踏切」。

 

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JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その3。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

2024-02-08 18:38:33 | 房総東往還

満開の桜が間近に。

このブログを掲載したときには、早くも東京などでも「河津ザクラ」などが咲き始めた、というニュースがありましたが、このときに、今年初めて満開の桜を見ました。※東京地方も、その後、寒気が入りこみ、雪模様に。

坂道を上がっていきます。と、満開の桜並木。

散策にやってくる人も。         

  

遠く、南房総の海が見下ろせます。

ここは、抱湖園

全国的に有名な花の産地である南房総市和田町にある「抱湖園」は、当地に花栽培をもたらした偉人、間宮七郎平が開いた庭園です。元々薬剤師であった間宮七郎平は、花づくりによって半農半漁で生計を立てる民を救いたいという想いから、花栽培に取り組みました。安房で初めて花栽培に成功し、自らくわを持って山を切り開いて花木を植栽。この際に植えられた寒桜は、旧暦の元日朝に咲くことから「元朝桜」と名付けられました。毎年1月下旬〜3月末頃になると、約60本の元朝桜と菜の花が見事に咲き誇ります。

訪れた人は、ピンクと黄色の花々が一面を覆う極彩色の景色に酔いしれます。

(この項、「ちば観光ナビ」HPより)

和田町は、全国的にも有名な花の産地です。それは昔、間宮七郎平という薬剤師が和田町に住んでいて安房で初めて花作りに成功しました。七郎平は花作りによって半農半漁の和田の人々の生活が救われることを何よりも願っていました。
花作りで成功した七郎平は、次に山を切り開き、花木を植えることを考えつき自らくわをもち花園の裏山の堰の周りを開墾し、「抱湖園」と名づけ花木を植えました。間宮七郎平が植えた桜で(旧暦の)元日の朝に咲くことから元朝桜と呼ばれるようになりました。

桜とメジロ。

(この項、「」HPより)

※旧暦の元旦。今年は、2月10日(土)。

       

子供連れの家族。「いつもは、2月になってから咲き始めるのですが。」

※この日は、1月27日(土)でした。

菜の花畑。

蘇鉄。

その奥に梅、桃。

しばらく散策し、引き返します。※左の山(展望台)へ上がる道もありましたが、パス!

「第二花園踏切。」。

「花園」という地名が素敵ですね。鴨川駅からのバスに、「花園」行きという便がありますが、ここを指しているのか?

  

江見駅方向。                和田浦駅方向。

可愛らしいこけし。スイセンの花が彩りを添える。

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JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その2。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

2024-02-07 18:37:59 | 房総東往還

眼下に南房総の海が。

鴨川市から南房総市に入ります。

「またどうぞ鴨川へ」。

南房総市

南房総市は、千葉県の南部に位置する自治体である。 関東地方および千葉県最南端。南房総観光圏の観光都市。市域は森林セラピー基地、海岸部は南房総国定公園に指定されている。

本地域が位置する安房地域は718年養老2年)に上総国から分かれ、明治初期まで安房国と呼ばれていた。国府は旧三芳村に置かれ、条里制の遺構も見られる。かつては多数の荘園があり、これらは中世末まで統治者の交代を繰り返した。

戦国時代に入り、15世紀中頃に里見氏が安房統一を果たし、戦国末期に館山城を築城し、安房国統治の拠点とした。江戸時代初期、里見氏は江戸幕府により1614年慶長19年)に改易され、以降この地は旗本領、天領、小大名の領地として分割統治された。

近代に入り、1878年明治11年)の郡区町編制法施行により郡制を施行し、1897年(明治30年)に「交通の便が相互にあり且つ民族風俗に大差がない」という理由から、安房郡、平郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を合併して、昭和期の安房郡の前身となる「安房郡」が形成された。

2006年平成18年)3月20日に安房郡富浦町富山町三芳村白浜町千倉町丸山町和田町が合併し、南房総市が発足した

温暖な気候を生かしたアイリスキンセンカなどの花卉栽培や房州ビワの産地として知られ、生産量は日本一である。

日本酪農発祥の地である峯岡牧を始めとした酪農や、アワビテングサなどの漁業も著名である。全国モデル道の駅である道の駅とみうらを始め、日本最多の道の駅数である

市役所は当面、旧富浦町役場を使用するが、富浦地区は南房総市の地理や経済の中心地とはいえない。人口が最も多いのは千倉地区で、合併前まで警察署が置かれるなど外房側地区の中心地であるが、内房側の各地区や三芳地区から見た場合に中心地とはいえない。よって南房総市は、特に商業、医療などで館山市へ大きく依存し、合併前から当市全域が館山都市圏に属する。和田地区は鴨川市との結びつきも強い。

(この項、「Wikipedia」より)

南房総市のいま

  • 人口34,759人
  • 世帯16,947世帯
  • 男性16,685人
  • 女性18,074人

[2024年2月1日現在]

                   (「」HPより)

                            (「千葉県」HPより)

                          (「国土交通省」HPより)

菜の花が満開。

                 

すれ違った散歩中の地元の方から「桜が咲いて見事ですよ、ほら、あそこの高台。行ってみて下さい。この先を右に曲がって踏切を越えると、すぐですから。」と。

さっそく寄り道をします。

道の脇には桜が満開。「寒桜」。

        「黒滝―花嫁街道 ←ハイクコース→」。

踏切の手前にも桜並木。

奥の丘には満開の桜が。

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JR内房線「江見駅」~「館山駅」。その1。(「房総東往還」を歩く。第10日目。)

2024-02-06 18:34:24 | 房総東往還

1月27日(土)晴れ。房総東往還(伊南房州通往還)最終日。

《往路》船橋~安房鴨川(「新宿わかしお」7:25―9:36)

(「安房鴨川駅」にて)

            

~江見~南三原―(バス)―館山 

※9時50分に着いた「江見駅」から「南三原駅」までは歩き。

《復路》館山~船橋(「新宿さざなみ」16:02―17:39)

(「館山駅」にて)

※今回も「大人の休日倶楽部」利用で、乗車券・特急自由席を合わせ、3割引き。

「江見駅・江見郵便局」に下車。郵便局は閉まっています。

            

旧道に復帰します。

海方向。

左に折れます。

洲貝川。

         内房線の鉄橋。

河口(海)方向。

しばらく進み、「国道128号」に合流します。

バス停「野田」。

「HOTEL MAKAI」。ハワイ風リゾートホテル。

                   (「同」HPより)

「一期屋」。閉店したようです。

国道から右に入ります。

ふと左の柱に※「綱吊り」=「道切り」の一種。片草鞋が吊るされています。

地元の方にお聞きしたら、「新型コロナとかインフルとかがはやっているので、その侵入を防ぐ吊るしてある。最近は、草鞋を編む人もいなくなって・・・」と。

道切りの現物を初めてみました。この先では、気づきませんでした。

その集落内を進みます。 

この付近の今昔。

                 現在の国道128号線は海岸沿いを通っている。(「今昔マップ」より)

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