サンチョパンサの憂鬱

ムラ興しは引きずり下ろしでもある

島根県の益田からルートを東に取るとこれまた救い難いほど単調な海岸線を延々と走る事になる。

インフラ整備と銘打ってどの町も海岸線に公園を整備し 土日は知らないが、平日は廃墟の様に……綺麗な施設がヒッソリカンと海に向かって佇んでいる。

こんなのが地方の現状……余程人材不足かと思えば、結構な人材は居るんだそうな……。
その人達が何かを提案すれば、目の敵の様に反対を唱える多数派という図式らしい。

んでハコモノに頼っては減価償却費を発生させては放置する。
いつの間にか、田舎の評論家になれる位山野を走り回ってる内に、気が付いた。

田舎では『本気は孤立する』のだと……ある人は言った。

ある規模の中核都市ならば図式は同じでも、本気の人間も少しは居る。
その人達を糾合すれば時折その本気は花開いたりもするけれど……。

良く、人材を嘆く話を聞くけれど……問題は人材の有無じゃなく、その人材の本気を活かせない衆愚と言っても良い村の住民のセコイ根性なのだと気付いたのだった。

150年前の萩にはそんな日本海のウラブレタ町に、有能な青年達の力を信じた大人達が居たということだ……。

浜田を通り過ぎ江津市を抜けて更に西に走ると大田市に至る。
石見銀山跡が世界遺産になったけれど……このアクセスの悪さはきっとその勢いを削ぐだろう……。

そこから一気に中国山地へ走り込むと
一山二山越えると邑智群美郷町へ出る。
粕淵という地区に亀遊亭という明治四年に建てられた当時の庄屋の屋敷が旅館となっていた。

千坪の敷地内には四つの庭があり昔宿泊した時……独り身のおかみさんが食事を供してくれた。
維持するのが大変なのだ!とこぼしていたけれど……今は?どうなんだろう。

益田から山へ入らずそのまま東へ走ると西出雲の多伎町に……。
ここは当時からマニアックな旅館でジャズが流れる中を、庭で食事を頂いた事があった。

鮎懐石料理は……ホントに美味しかった。ここの若女将は若さとウイットとユーモアがあった。
きっと今ではもっと繁盛させてるのでは?と思う。

今でも時折思い出すその食事は、料理云々もさることながら池を泳ぐ鯉、放し飼いのなにやら珍しい尾長鶏なども当たり前の様にソコに居て、ロケーション素晴らしく……印象深いものだった。

竹下元首相も時々お忍びで行ってた……と後から人に聞いた。
そうだろうなぁ?……元首相ともなるとイイモンはキッチリと押さえてるよね……。鼻が利くって奴だ……。
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