一時的な感情の高揚で熱い正義論は日々溢れてるけど……流れによってその熱もベクトルも変化していく人は多い。
刹那をフラッシュで切り取っては名解説めいたコメント……だけどツボは必ず外してる。
決着が着くとどの口が言ってるの?位、今までの論説とかけ離れた脈絡が無いアリキタリの結果論でシメという運びである。
『定見』は『羅針盤』の役目をする。
騒ぎ立てる数に左右されず、自分の思う所から観察してるからブレない。
定見を得る為には様々の『何故?』を不断に積み重ね思考し続ける事しかない。
足りない基礎知識を加えながら絶えず続く何故?を手離さないスタンスを必要とする。
ポリコレマニアの熱に浮かされた正義は定見と全く質を異にするモノだ。
武器は反論出来ない『分かり易い正義』……例えば『差別は駄目❗❗』とか『戦争は駄目❗❗』といった類いの正義……。
定見は幾らでも『反論を受け付ける』けれど……ポリコレマニアは反論を許さない。初めから終わりまで『相手の否定に終始する』のである。
今回……女性蔑視とされた森会長の問題を見ていて……今のこの国って戦前の大政翼賛会に流れた戦前の空気と案外近い所にあるのかも知れない……と思った。
『反論を聞かない・許さない』態度では議論が出来ない。
それは言論に名を借りた『リンチ』なんだと思う……。
『国益』という言葉が何時?『国賊』、『非国民』となるやも知れない危うさ……。
ハンナ・アーレントが指摘するところの
『凡庸な市民の大罪』とならぬ様に……自分の掲げる正義に絶えず懐疑的態度を失ってはならない……と感じた。
戦後アメリカに吹き荒れた『赤狩り』も
構図は同じ……反論を許さない『善人の凡庸の暴走』だった……。
何かの触媒一つ(切っ掛けとなる事象)で一気に加熱される空気には……そんな危うさ、怪しさが潜んでいる……。