誰だって知ってる映画……オードリー・ヘップバーンだ。
『ムーンリバー』はアンデイ・ウィリアムズショーのヴァージョンで耳にこびり付いている……あの時代アメリカ文化の憧れの象徴の様な曲だった……。
当時のニューヨークの『パパ活女?』……かもな?……そんな事を思った。
……『君は人を愛する事を怖がっているだけだ!』……『君を愛している❗』……『だから何?』……だから何?……『君を愛している❗それだけだ❗』……それ以外に何がいる?……。
確か?そんな会話だったか?……男はタクシーを降り、ヘップバーンにお菓子のおまけのオモチャの指輪に刻印したリングを投げ付けて去る……。
ソコは当時の映画(1961年)だけに……タクシーを降りてヘップバーンは男の後を追い掛ける……そしてハッピーエンド❗❗
今のパパ活女達も……誰かと愛し愛され、自分の心を占有され自分の人生に他者が入って来て……ソレを基点にして自分の人生が組まれていく事を恐怖してるのかも知れない?……。
『コレだ❗』と決める事は……相手の人間にせよ、仕事にせよ、生きて行く方法論にせよ……『怖いモノがある❗❗』……。
日本では安保闘争が吹き荒れてた時代……。
当時の殆どの日本国民は『人を愛する事が怖い?』なんてメンタルの深いところの問題にカマケテイル暇なんぞ無かった時代……。
『衣食足りれば人は哲学を始める』のかもね?……。
人間、徒手空拳の時代は、先ず、生きて行く事とは即ち『食っていく事』と同義の意味を持つ。
バブルと共に、『どの様な自分』で生きて行くか?を考え始めた矢先……この国では、失われた三十年によって『食っていく不安』がまたぞろ蒸し返されたって流れなのか?
食っていく為の『パパ活』から……本物?なる『愛に出会う女』がいるかも知れない?……その時……『コレだ❗❗』と自分を決める勇気を出す?……なるほど、それは相当な恐怖を伴うかも知れない……。
コロナがミキサー見たいに……そんなこんなを引っ括めてシャッフルしている……。
何を終えて……何を?始める?……コレからを決められない事に苛立ち……より深まっていくカオスに僕達は心の底でひたすら恐怖しているのかも知れない……そんな事を思った。