なぁ〜んてカップルが悦に入るの図は日常よく目にする。
ま、コレに類する個人のバージョンは『私ってこういう人なんです?』ってのもよくいる。
思慮深く遠くを想定している人間というものはそんなに簡単に表明しない。出来ないから。
ソレはとても今、世に問えるモノが揃っていないからである。
こんな人は『生きる目標なりにコンセプト』をシッカリと定め胸に秘めている。
簡単に打ち出せるモデルというものは、パターン化されたステレオタイプだったり、様々な媒体で『今、喧伝されている流行り』だったりする。
イケてない男が、女を口説くのに『ミュージシャンになりたい』という夢もどきを語るのもよくあるパターン。
今、とても即席で語れる身分証明は『ユーチューバー?』なんてのもよく登場する。
ホントに目指している奴は……そこらで女とのキッカケ作りにかまけてる暇があれは、自分のコンセプトに向けたミュージシャンなりユーチューバーとしての『行動に必死』なのである。
自分の目標をシッカリとしたコンセプトで支えている人間は多くを語りたがらない。
今は未だ『未完成だ』という事を誰よりも理解しているから……。
タレントの『神対応?』とか『気遣い?』なぁ〜んてのを誇大な見出しで伝える記事を多く目にするけれど、『こんなの』も大抵『アリキタリ』な話。
読み終わってから『それで何?』と思わず呟いてしまうのである。
『何を演って生きていけば良いか?』
コレってとても難題であり中々見つけられるモンじゃないのである。
当たり前の話だけど、自分の命も目標とする仕事も誰と?付き合うかも『必ず終わる』のである。
それが『終わる時』、まぁ、コレなら良いか?
と諦めが付くって事が大事なのである。
諦めるってのは断念することでもなく、放棄することでもない。
『深い納得』というものを手にしなきゃ『明らかに極める(諦める)』事なんて到達出来ない。
ちょっとソコラに転がってる『ステレオタイプ』から得られるインスピレーションは時間を超えられない。
大抵『本人が飽きてしまう』のである。
ドッシリしたコンセプトという奴は自分がその自分の思考・イメージに飽きることが出来ない。
『もっともっと…』とあの手この手が脳裏に浮かんでしまうものなのである。
だからソレを遂行する時はとても疲れるのである。その疲れのご褒美に『チラッ』と完成した時の姿の一端が垣間見える。
だから……?また夢中になれるという運びである。
昨日、誰かが僕の昔のブログを読んでた。
それは中島みゆきの『悪女』に付いて書いたものだった。
嫉妬に駆られながらも、愛する男を他の誰かに引き渡そうと……。でもね?……と悩む。
そんな『あの手、この手』が披露されている。
今、この歌詞を読むと……ココまでのエネルギーを注いで恋愛相手と関われる人は居るのかな?
そんな話をスタッフと話した。
『男と女』の関係も随分と簡単にお手軽になってるよね?……と。
駄目なら『また次にいく』……ちょっとスマホをタップすれば良いだけだから。
そんなお手軽に慣れると?次は?次は?次は……と同じ手続きとレベルを繰り返し、自分のエネルギー不足と思考の浅はかさは棚に上げて……『恋愛に疲れた?』なぁ〜んて安普請の答えを導いてしまうのである。
コンセプトは自分の強い思い込みが描いた青写真であり宝物の在り処を示す自分専用のマップなのである。
安っぽい塾の様に……手っ取り早く『答えばかりを欲しがる』取り組みに問題がある。
『何故?その先を知りたいのか?』、自分は何故?それが欲しいのか?
『何故?の無い』世界は安っぽい答えで溢れかえってる。
だから?段取りって組めない人間が増えたのである。
自分以外を頼りに、『物事を用意して貰い段取りして貰う』方法しか知らない?というか?知ろうとしないおバカが溢れるという運び。
腹が立ったから?仕返しに?
浮気してやった?なぁ〜んておバカもイヤというほど居る。それ?仕返しになってんの?
自己信頼をまた一つ売り渡しただけじゃないの?……なぁ〜んて言って上げない。
つけるクスリなんて無い…し。
ホントに覚えるってことはね?自分で考え『取りに行くもの』だからなのよね。
ソレを『自覚』って昔は言ってた。
思考が全ての基本。
『自分で考えない人』って結局、ずっと世の中の風に翻弄されながら思いもしない所に漂着する?そんな人生を歩くのですよ……。