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サンチョパンサの憂鬱

解る事・解って貰う事の違い

僕を含めての話。

SNSを見ると起こった事の評論、批判に終始したものが圧倒的に多い。
なるほど分析において卓見あり、舌鋒鋭く切り込んでいるものばかりだけど……。

読んでて非常に疲れるのは何故?……と考えた。

んで……閃いた。
そうか!……『既に起きてしまった事』を材料にココはこう、ソコはこうだと演ってるだけだからなんだ!……と思った。

既に過去なんだよね?
終わった事を『後付け・結果論』で切り刻んでるのに過ぎないからなんだ!……と。
アホでも出来るのが結果論をベースにした『後から批判』なのである。

過去になってしまうその問題を『未来的な問題に切り替える視点』がないからなんだ!……と思った。

あなたが良く理解してるのは分かったから……。
んで……問題は『あなたなら?どうするの?』ソコんとこ聞かせてくれなきゃ、只の後だしジャンケン人間で終わっちゃうよ?……。
その段階で大概の力作の文章がソコで止まっちゃうからなんだな?……疲れさせられるのは……と感じた。

過去向きは人を疲れさせるのである。

ガッコのお勉強は『良く解れば』終了である。社会ではその良く解った思考を……難しい問題に応用しその『自説を他者に分かって貰う事』まで運ばなきゃ自分の思考が日の目を見る事はないという事なのである。

如何に優れた卓見であれ秀逸な分析であれ批判、分析に終始すれば何にもならない。詰まらない過去になりつつある事件への挽歌にしかならないのである。

自分で解る事。それしなきゃ論外。しかしそれだけでも論外なのである。
自分が素晴らしいと思う『自説を他者に分かって貰う』努力しなきゃ単なるオナニー……独り善がりの世界を生きてるに過ぎないのだと思った……。

ヤッパ……ソコ避けてちゃ始まらんよね?
激しく自省、内省、反省した夜でした……。
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