大人ならそれは当然のメンタリティでありそれが基本的スタンスだ……。
そのスタンスで挑むからその事は全てが自分の実感となる。
それがドキドキなりワクワクの発生メカニズムである。
現代版ムッシュボヴァリーやその系譜の女達は責任とリスクを理屈抜きに避けたがる。だから実感が得られない。そして実感無き事柄には大した価値を感じられない。
そんな巡りでメリハリのない時間を囲っては『何かが足りない感』を何時も抱いている。
責任とか意思とか言えばとかくウザイニュアンスが漂うけれど、責任とか意思とかがその事を『自分のモノ』と感じさせてくれる源泉となるのである。
その緊張感が全身の細部に至るまで自分の情感を行き渡らせる。
それがモノゴトのエッセンスを受信、吸収するアンテナの役割をするのである。
明け透けであからさまな振る舞いをするのは決まって、ムッシュボヴァリーとその系譜の女達だが、それは大胆な訳じゃなく、鈍感で注意力不足、デリカシーの無さ故の仕業なのである。
だから些細な出来事の中に、大きな意味だったり齟齬が含まれている事に気付けないのである。
責任も意思もないからその一事を一人称の所有格で感じられない。
だから何か不都合が生じれば何時でも手放せる軽い他人事に堕するのである。
共感する、共有する?というのは、自立独立を果たしている一人のメンタルが一人称で対象に向き合った時にその可能性が生まれる。
そんな人同士が、相手にパートナーシップを感じた時に……一つのモノゴトに対して初めて共感、共有関係は成立するのである……。
自分のワクワクと相手のドキドキが共鳴し合う始まりである。
複数での取り組みの成否はこの様にそれぞれ個人のメンタルの成熟具合が決めるのである。
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