サンチョパンサの憂鬱

リスクを負えないリスク

ボヴァリー夫人ならば、近代文学No.1のヒロインと称される所だけれど……大抵のボリュームゾーンに生息する女達はボヴァリー夫人にはなれない……。

浮気は出来る?……そのリスクを負わない発情ゲームは、し終わった途端に早くも精神は強烈な飢餓感に襲われるのである。

奔放にただセックスを繰り返せば、心は平穏を取り戻せるか?と言えばNOである。
本物のリスクを覚悟を以て背負って初めて、メンタルは実感を得るものだからである。

そういう人間の性質は厄介でいてとてもシンプルだ。
これに賭けるという覚悟を手にすれば
大抵の事は成就する。
保証のない事に覚悟を決めるのはとてもリスキーだ。

それを越えて自分の本当の欲求に覚悟持つならリスクは消し飛ぶのである。
だからこそ、えも知れないワクワクと満足が手に入る。
そんな人間はそのリスクを十分知っているからこそ、緻密に細心の注意を払える。

自分の欲の虜になって姑息なリスク回避をする者は、上手の手から水を溢してしまうのである。
結果として、人を傷付け、自分を堕落に導く事になるのである。

盛り上がった二人をとうの昔に周囲は察知しており、隠微な笑い者になっていた?なんて哀しい顛末はよくある話だ……。

そんな話がそこら中にあるのは、覚悟のなさと自分が発生させるリスクを背負えない、背負わない人がとても多い事から発生するのである。

綺麗事で世の中は流れない。

だからこそ『自らを背負い切る覚悟』を必要とするのである。
自らの汚さを知る者のみが悪徳と性欲にまみれた汚いストーリーを文学にまで高める事が出来るのである。
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