『公』と『私』の間の揺らぐボーダーラインについて書かれたモノだった。
私的な個別空間では人間は動物的欲求を目一杯開放する。(私的な空間)
一方外界に出掛ければペルソナ(仮面)を被り極めて倫理的、良識的な『演技で』整然と役割をこなし生きてきた。(公的空間)
カフカの『変身』ではある日突然虫になり、『私的な空間を失う』事から始まる主人公の混沌と混乱が悲劇的に拡大し捩れて行く。
最近巻き起こる……エラク稚拙で幼稚な犯罪の数々はネットによって『公私のエリア』が相互乗り入れすることによって境界が曖昧模糊となる事から発生しているのだという指摘だった。
プライベートのベッドに寝そべりながら……外界の見知らぬ誰かと繋がる事の混乱である。
稚拙で下劣な犯罪を……社会でソコソコ頑張って働いていた筈の人間がいとも簡単に犯すことの不思議はそういう構図の下に行われるのかもな?……とその説に強い説得力を感じたのだった。
長い時間をかけて……様々な『私の事情』はあるけれども『コレだけは守り合おうね?』というルールのコンセンサスが……法律、良識、常識だったりする。
最近、そのルールを『カスタマイズしてしまう』御仁が老若男女を問わず出現している事に戸惑うことは多い。
美味いけれどコスパが悪すぎる?……ランチは安くしてデミグラスソースのものを増やして欲しい?なぁ~んて事をイケシャアと宣うのである。
それは貴方の『懐事情』の問題。それに見合う店に行けば良いのである。自分の事情に合わせてくれない店が悪い?という論法に少なからず驚かされる場面は多々ある。
『性欲に負けてしまった?』なぁ~んて高校生が言いそうなエクスキューズを中年の教師が仰る世相。
『公のルールを私的にカスタマイズ』してしまう短絡と混乱によって起こっているのか?……と目から鱗が剥がれ落ちたのだった。
私的な空間で動物的欲求を抱きながら、ネット空間を辿って行き着いた少年少女は『公の存在』だという仕切りが曖昧模糊となっちまう混乱である。
政界の厚顔無恥な連中も同様……厳然とした人間界の公のルールを都合よく『私的に解釈(カスタマイズ)』して、よくも言えるなぁ?という
『私の思い1〇〇%』の滑稽な理屈を滔々と喋るのも同じ現象なのである。
ネットは世界を広げないのである。
少数意見が席巻するコップの中みたいな小宇宙を沢山乱立させ……ペルソナなんているもんか!と動物的欲求剥き出しの主張を我もわれもとまくしたてるのである。
『美味しい』は人の数だけ存在する。
コスパの評価方法も千差万別。
自分の事情からの要求のみが正しい!とする『大人気ない要求』はコップの中のトンネルビジョンが公と私の境界線を見失わせた結果起きたカオスなのである。
そんな人はみんな裸の王様になっちまう。
ご立派と思ってるのは当人だけという悲劇。
ん~ん……どうすれば良いんだろう?
私的空間に在る時こそ、『公の視点』で自分の『動物的欲求』を俯瞰するというスタンスしか
自分を制御コントロールする方法は無いのかもしれないな?
そんな事を考えさせられた記事だった……。