サンチョパンサの憂鬱

サンチョパンサの食卓 (9)

人間は得てして……人の演る事に嘴を挟みたくなるものである。
んじゃアンタ演ってみなよ?
と言えばイヤイヤ私なんかが出来ませんよぉとなる。

自分に矜持を持ち、自分の計画、夢に邁進している人は基本、人の演ってることなんかどうでも良い。そんな事に回す興味もエネルギーも無いからである。

無責任に船頭振りたい人間ってのは口は出すがカネは出さない?若しくはカネと労力はケチるってのが通り相場である。
人が困っていれば『自己責任』の一言で逃げを打ち、自分が困れば泣きを入れるしか能が無い人種である。

そんな人達は『他者の目管理』に終始し、自分の意思によって『自己管理』しない。
大人の人生は何より先ず『自己管理』することからスタートする。
自己管理しない?出来ない人間は何時まで経っても自前の意見も、見識もなくだから『定見』を持てないのである。

先程まで、お一人様の中年紳士。
身なりも立ち居振る舞いも一級品である。
横浜から出張のたびに来店され淡々とワインを嗜みながらお気に入りの肉料理を堪能……。シメは必ずペペロンチーノ。そしてデザート。

お取り寄せのペーパーも奥様に渡され只今検討中……と。食べてない人間に説明するのはとても難しい……と。
『また来ます』……と去っていく後ろ姿がカッコ良い。

時間を自己管理している人間は言葉を必要としないんだな?と思った。
阿吽の呼吸って奴が使えるのである。ソロソロだな?とテーブルにサーヴに赴くとオーダーが入る。
とても素敵な時空が出来上がるのである。

数度の来店で『メニューの地図』を作る力がある。一万円少々で『食の旅を構成する力量』にはココまで生き抜いた人の力がいかんなく発揮される。

昨日NHKの再放送で『食材の固定化』のドキュメンタリーを観た。(トウモロコシと小麦)
富の偏在によりメキシコでは子供達の三人に一人が病的肥満?に陥っている。野菜も食べさせたいがプライスが……と若い母親が嘆く。

紳士が帰って行った後……『贅沢って何か?』について考えた。
その番組に登場したペルーの『食材のカリスマ』の言葉を思い出した。

近くの地域で採れる食材を幅広く構成して完結させることが大切だと……。

きっとね?
食材や調理過程に『想いを馳せること』がとても贅沢なことなんだろう。

ブラジルのトウモロコシで出来たデンプン、糖分、脂質で構成される加工食品ばかり食べるしかないメキシコの貧困の子供達は『大人のカネ事情』によって緩やかに早過ぎる成人病へ追い詰められている。

恐らく横浜からの紳士はじゃがいも料理一つでも今日と変わらぬ『食の旅を堪能』する力があると思う。
それは彼は『想いを馳せる文化』を持っているからである。

貧困は良いことじゃないし、解決すべきテーマだけど……『心の使い方一つ』で人生を改善していけるんじゃないか?
哲学者の様な顔をしたペルーのカリスマ農夫の顔を思い出しながらそんな事を思った。
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