サンチョパンサの憂鬱

サンチョパンサの食卓 (7)

お婆ちゃんのお煮しめは文句なく美味しい。

母親が教わった通りのレシピ、手順で作っても味が歴然と違うのは何故か?

昨今の『軽い響きのグルメ狂騒曲』……芸人レポーターが無理して大仰な声でこれでもか!と捲し立てるけれど見るからに食欲減退に至る。
『隠し味にコレ』入れるのがコダワリって事でしょうねぇなぁ~んて的外れのコメント連発する。

お婆ちゃんの料理の美味しさはひとえに『反復の数』と『繰り返された微修正』の賜物なんである。ふとした火加減とか混ぜるタイミング、その力加減とか……。

料理は味加減もさることながら調理中の『様々なケア』が成否を決める。
手を掛けるだけじゃなく絶えず『気に掛ける』ことをベースにしなきゃ味付けは出来ても作品に『深み』は出ない。

おカネを貰うプロの店は、オーダーを受けてからサーヴするまでの時間管理は犯すべからずの鉄則である。

お婆ちゃんのお煮しめの味は如何にプロフェッショナルでも再現性は低くなる。ま、敵わない。しかしまた多岐に渡るオーダーを様々のテーブルに適宜な時間で供する『技術』はおばあさんにはない。

どんな分野のプロであれ、共通して要求されるのは『速さ』なのである。
持て余す時間をふんだんに使って作る主婦の料理自慢の様な訳には行かない。

限られた時間の中にどれだけ手を掛けるか?気を掛けられるか?……二度とないお客との一期一会の勝負なのである。

立ち位置の悪い人って結構多い。
当然そんな人は『空気も読めない』のである。
周囲に気を掛けられない人間だからである。
『教えられてないから?』なぁ~んて親のせいにするいい歳をした大人の人間。

それね?……そういう事の大切さを『教え、教えられる(学ぶ)力』こそが文化力なのである。
そういう観点から若い人達を観ると……裕福とか貧乏とかの要素は余り関係ないことが分かる。

死んだ親父が生前よく言ったものだった。
お前達の結婚相手の『家柄』なんてどうでも良い。しかし相手の『家風』は厳しく問うからな!……と。
家柄なんて運不運であっという間に変わってしまう。所詮カネが左右する要素だからだ。
しかし、『家風とは文化』なのだ。
だからカネなんぞで買えないし、カネを失ったからと急に下品にはなれないものなのだ……と。

お前達は……カネとか地位、役職なんぞで人をみる人間になるな。
相手の文化力を計る力をつけなければ駄目なのだ……と。

隣でコックリこっくり居眠りしてるカミさんの横顔を見て……ため息一つ。
親父の話……も少し真剣に聞けばよかったかな?
今にして何かに付けて…骨身に染みてくる親父の言葉である。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「リアルなフィクション」カテゴリーもっと見る